晴れ。あたたかな一日。晝ごろ起きる。
モリシアを見に行く序でに服を買ふ。知人がゐたので年甲斐もなくこそこそする。
裾の仕立てを頼んでゐるあひだに迫野虔徳「仮名遣いの発生と展開」北原保雄監修『朝倉日本語講座』第2巻、林史典編「文字・表記」、朝倉書店、2005.4、147-70を讀む。契沖におけるいろは假名といふ枠、定家と當時うまれはじめてゐた假名文字遣といふものとの關連、あるいは定家假名遣が假名文字遣と同一になつていく視軸など今後の課題にならないだらうか。契沖における下降史觀のありやうなども具體的に檢討すべきやうに觀ぜられる。また、契沖の發想が假名をあきらかに見誤つたものであるのに、なぜかうも國學徒を説得しえたのかといふのも、受容をみていくうへでは調べないといけないのだらう。だれかもうやつてるかもしれないけど。
23:55
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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