本とW-ZERO3と動法の日々: 石川九楊著『中国書史』読了に引用してあつて、ほんたうに久しぶりに讀んだのだが、あまりに無意味でしらけた。不勉強もいいところだし、文もなんのおもしろみもない。第一引用、スタイルこそ美とか、生半可にソシュールでも讀んだだけぢやねえかとしか思へないし、石川が最近の作品を讀む力がないことを露呈しながら平然としてゐて唖然。きちんと讀んでゐないのであまり根據のある批判ができないのだが、第二引用では、言葉についての認識不足が露呈してゐる。石川の理論では、垂線は天からきたさうだが、天は垂線、すなはち二足歩行の誕生によつてうまれたものなのであるといふ點で第三引用は意味をなさない。第四引用では、仰々しすぎて却つて眞實がぼやけ(字が書きにくいで十分ぢやないか;それに、例外はいくらでもあるので、下手に普遍化もできない、といふか、いまのところ、文字について普遍化された體系があつたか?)、第五引用も用語が適當なので記述が分解してをり(演繹と歸納を理解してゐないらしい)、以下略以下略。つくる會の教科書は貴重な時代資料だが、この本はなんになるのか?
丸山圭三郎『ソシュールを読む』岩波セミナーブックス2、岩波書店、1983.6、ほとんど讀了。人間學の章は、それまでに比べて冗談にしか思へないのだが、ソシュールはそのやうな思想を展開してゐたのだらうか。
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——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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