たとへ研究において一次資料を引用するといふ場合であつても、誤讀による引用といふことはつきまとふ。それにより研究に生彩が生まれたとしても、だれもそんなことはきいてゐないのであつて、單にあやまりと捨ておかれるのが落ちである。
もしこれがおはなしの類であればどうだらう。たとへば説法で如是我聞をそれ以外に言ひかへたつてなんのおもしろみもないだらうけれども、たとへば法然が大無量壽經に施した誤讀はどうだらうか。おもしろみといふこととは違ふかもしれないが、讀み手のテーマでテクストを傷めつけることは、あるテクストを踏まえることとは異なり、傷めつけられたテクストの「世界」を再構築してからこれからあらはれるべきテクストに連れこむ。あるいはこれらは程度の問題なのかもしれない。「踏まへ」とて先行テクストをあるがままに取りこむものではなく、強引に先行テクストの「世界」にわがテクストを、力の差こそあれ、ねぢ込むことである。先行テクストに唯々諾々と從つてゐるやうな國語教科書でさへ、その本を編むに作業でのそのテクストの最初の讀み手、すなはち編者がどれだけ編者側の「世界」に先行テクストをねぢ込んでゐるかは、たとへば石原千秋の國語教科書を對象とした諸研究に一端を伺ふことができる。
そのテクストに醉ふ者として、われわれはそのテクストについてなにを述べえるだらうか? 素面で、あたかも採點係のごとく、ここが先行テクストを改竄してゐる、などと述べていかうか? 私としては、どちらにも醉つてみたいものである。
23:55
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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