閑居友のことしか考へてゐないせゐでせうか。日記さぼり癖が? 水曜日は四分律刪繁補闕行事鈔卷下之四を見に西船橋へ行き(前日に連絡しておいたら出して待つてくださつてゐた)、リサイクル圖書で何點かもらひ、そのあと稻毛で材料費の支拂ひ……の途中で1點を購入し、その後圖書館に行つて閑居友影印本のコピーをし、木曜日は註釋作業と發表資料作りが翌日朝まで續き、金曜はそのせゐで眠くてしかたがなくて日記に書くまへに(=一日を終へる作業をするまへに)寢てゐて、それでけふか。けふは延び延びになつてゐたことを少し濟まして、出かけて、相撲に勝つて勝負に負けるやうな歸りかたをしてきました。でも通り雨にあつたかもしれないから相撲に負けて勝負にも負けるよりはましなのかもしれない。
わからないこと:「おぼつかなくあはれなり」つて、なに? 「給ひけん、思ひいでられてあはれなり」つて文法的に破格? 天竺の比丘つてだれ? 謎はおほし。天竺の比丘があきらかになれば芋蔓的にあきらかになることはおほいとおもふ。
水曜日の入手・購買物。
吉田健一『東京の昔』中央公論社、1974.3。
色川武大『狂人日記』福武書店、1988.10。
いとうせいこう『ノーライフキング』新潮社、1988.8。しかし、いくらリサイクルだからつて、黄色のビニルテープを分類表にまいて、バーコードを黒塗りするのはあんまりではないか。
P・D・ジェイムズ『不自然な死体』青木久恵譯、ハヤカワ・ミステリ文庫、早川書房、1989.8。
奥泉光『石の来歴』文藝春秋、1995.3。
ジュンパ・ラヒリ『停電の夜に』小川高義譯、新潮文庫、新潮社、2000.3。なんとなく。2003年1月の記のある後書きによつて、10刷以前の2003年の刷とそれ以前のものとにわづかであらうが違ひがあることが知られる。
親指の爪が長いです。いまだ幼かりし頃ピアノの先生に爪を切れといつものやうにいはれたことを思ひだします(その先生にはつねに姿勢の惡さもいはれたけれど、つひに我が背がつねに伸びてゐることはなかつた(まだ私は死んでないぞ))。
23:55
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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