集中講義を受けながらまだ書き上げてゐない締切がけふのレポートを心配しながら晝休みで一氣に書いて送信しようとしたらとうに送信のおはつてゐるはずのレポートが送信されてゐないのに氣づいてひやひやしながら再送信し、そして問題のレポート自體もなんとか書き上げて送信し、再送信したほうも「まあぎりぎりセーフにしてあげよう」といふので安堵し、集中講義のためのレポートの準備に急いで本を借りる。そして職場に移動してまた客先に出向いて原稿を受取り戻つて作業をし、おはつてサイゼリヤで食事をしながら大風呂敷を擴げすぎたレポートの構想をたて、あしたから出かける準備をしなければいけないのだけれどまだ中途半端。
假名文字遣ひなんて、なんでそんなものを求めるのか全く解せなかつたのだけれど、けふ、「A=B, B=C, したがつてA=C」のしたがつては平假名が正しいのか漢字が正しいのかといふ無意味な議論をしてゐるのをみて、あ、かういふことかと疑問が解けた。假名文字遣ひをプラクティカルを求めるがゆゑと一部の研究者は云つてゐるが、この手の議論を見る限り、實用になるのかわからないのだけれど、かういふ態度は「教養あると示したいもののさかしら」なのだらうか。
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——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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