DoCoMo 2.0といひ、CMがやたら俗つぽいNTT DoCoMoですが、アクセス制限サービスのCMでもまた俗なイメージをばらまいてゐます。
CMはウェブでは配信されてゐないやうですが、暗い顏をした數人の子供の目が大人のものらしき手によつておほわれ、最後に目隱しがはずされると、そこには目を輝かした少年が父親らしき男性の腕にまもられて野原に寢轉がり夜空をみあげる、といふものでした。
まづ、アクセス制限がめざすものとCMで展開されてゐたイメージとの乖離があげられます。(子供が暗い顏をしてゐるなら目を隱すより抱きしめてやれ、といふのはさて措き、)大人が見せたくないとおもふものを子供が見に行かうとするのを防ぐサービスであるため、すでに見てしまつたものはとりかへせません。また、アクセス制限は、見ておくべきものに手を伸ばす切缺にはなりえないものです。
しかし、かう批判するのもなんだかむなしい。俗さは批判を高踏的なものにしてむなしくせしむるのか。しかし、おなじ俗は俗でも、auの親莫迦の一環としての有害サイトブロックと比較して不滿をおぼえるのは、NTT DoCoMoのそれは、既成のものに安易に立脚して、といふより親父ギャクなみのくだらなさで既成のものを引用してゐるからではないか、とおもふのです。
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——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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