圖書館に行つてみると、ScopusとJapan Knowledgeの講習を入り口のそばでしてゐて、歐文論文よりかは和文論文に接することの多い私には、Scopusは魅力的ではないのだが(といふかGoogle Scholar or CiNiiのはうが氣樂だ)、Japan Knowledgeの東洋文庫全ページPDFはいつか有用につかひたいものだとおもふのだが、(講習で)だれも聽く人がゐなかつたのは、圖書館の責だけではあるまい。もちろん、學生はそこまで學術的な情報を電子的にあつかふのに慣れてゐないこともあるのだらうが、それは、教員とて同じであるから實際に學生に教授がいきとどかないといふこともあるのだらう。4年生にもなつてレジュメの文獻表示の形式の不備を指摘される學生もゐるのである。若い人間はコンピュータになれてゐるといはれがちであるが、學術情報の電子的利用は、いまだしとおもはされることも少なからず、道具としてのあつかひに熟達してゐるとはいひがたいやうにおもはれ、そこに、携帶端末のひくい擴張性に却つてとつてかはられてしまふ現状が見いだせるのではないかとおもふ。
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——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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