小形さんのウェブ日記において、規格のアンチテーゼとしての「字体化け」といふものが公開されてゐる。以前朝日新聞において組まれてゐた連載(部屋のどこかに埋まつてゐるので題名も忘れてかけなければ引くこともできない)での笹原さんの指摘、「社會が使ひこなせなくなつた文字はだめである」といふ(ここに私は杉本つとむの言説をおもひだしてしまふのだが)のに覺える違和感をまたここでも感じて、結局この問題を考へてここ以外に行き場を見いだせない、鈔と抄を同字と扱はなくなるのはともかく別の表現型としかいひやうのない葛だとか辻の差を異なる字として「使ひこなせる社會」なんてあるのか、いやないとしか續かないこの問ひは、このやうな「つかひわけ」をロゴのやうなもの――しかしロゴのやうに視覺的同一性は求められることのない――として文字の領域から「追ひだせ」といふのか。
川上弘美のエッセイに「見ぬもの清し」(『あるようなないような』所收)といふのがある。これは箸から落とした食べ物を拾つて「見ぬもの清し」といつて食べた川上の母とのことを書いたものだが、職業病のやうなところのある私がかういふことを述べて説得力があるかはともかく、「正式なもの」に備はつてゐるであらうと信じられてゐる點畫の有無を捨て去ることからしかはじまらないのではなからうか。……讀み返すのがいやなほど支離滅裂なのだが、時間が時間なので投げてしまふ。
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——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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