野中廣務がゐた。
文化勳章の状の形式がすこし理解しかねた。
長女の史さんの仰つた、夏に最後の文字講話の録の校訂を終へられて、いま休んで二年間書き續けたい、といつたのはなんだつたのだらう、聞取れなかつた。金文がどうの、と仰つてゐたやうにおもふ。かなはなかつたけれども、死を悟るとすぐにあとに業を頼むものを言づててゐたさうな。本人やまはりのかたがたよりも第三者が面食らふ好き例。
「ぼくはようけ書いたなあ」。
楚辭の暗唱をこはれて途中でとまり「こんなのやつたの70年まへだよ」、と。
無聲慟哭。
23:55
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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