命なるかな、とは白川さんのことばとしてわれわれに遺されたもののひとつで、府川さんの『理戰』84號におけるインタビューの副題「宿命に拉致された人生の落とし前を五〇代でつけたぞ」に通ずるものがある氣がするものの、落とし前のついた人とつくまへに逝つてしまつたひとは同列に扱へないし、ここでは白川さんがメインなのであり、私はあしたより京都に行き明後日の白川さんのお別れ會に出席せんとするのである。
お晝ごはんより後の豫定は大體埋つたものの朝ご飯を食べてよりの豫定立たず。寐るといふのもすてきな案だが鍵のあるところでないとさういふことはしたくないので一人で京都驛周邊を探索しようか、などとも考へるものの相手をしてくれるひとがゐるなら大歡迎なのであります。
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——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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