學生でいふ「自主休校」(或は學生になるまで縁がなかつたといふことか)のやうなことを高校生だか中學生だか、とにかく制服が制定されてゐる學校へと通ふ生徒が晝間にあきらかにさうとわかる格好でしてゐるのをみるにつけて、なんで制服なんぞ面倒くさい衣服を著てゐるのだらう、と不思議でならない。著てゐてもそれを惡くおもふ風ではないのだし、學校に少しは顏を出すから著るのだらうか?
けふの購買物。
本橋亀石『現代書道三体字典(コンパクト版)』尚学図書、1985.4。
トルストイ『光あるうち光の中を歩め』原久一郎譯、新潮社〈新潮文庫〉、1952.6、1974.11(改版)。
『STUDIO VOICE』第194号、インファス、1992.2。
『STUDIO VOICE』第194号は「特集 文学へ。 まだ死ねずにいる文学のために」と題し安原顯と渡部直己、山崎浩一と上野俊哉の對談などが掲載されてゐる。安原と渡部の對談にいちいち反發を覺える。これはなぜだらうか。いちばんの理由としておもひあたるのが、私の記憶にない時代を顯彰して現在を貶し、おまへたちは駄目だなあといふ〈視線〉を感じるからだらう。また本人がもの知らずであることにまでさうであるのだから反感も覺ゆかとおもふのである。
23:47
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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