縣民性とはどのやうにして語られはじめ、それがどのやうに容認され、或は否定され、變容していつたのか――それはひとびとにとつて都道府縣がどのやうな存在であるかをあかすものであらう。地圖にしえない集落から地圖に彩られた行政體へとひとびとは歸屬先をかへ(アンダーソン『想像の共同體』など)、その過程においてのみ行政區域に過ぎない都道府縣によつてひとびとをわけることはうまれることだらう。しばしば行政區域と生活上の地域區分、また歴史的地域區分とは一致しないからである(先日おこなはれた馬籠村の中津川市への合併は、歴史的地域區分と行政區域の一致よりも行政區域と生活上の地域區分の不一致を解消しようとした動きの一つといへやう)。しかし、その一方で縣民性といふかんがへかたには、とくにはじめて接するときひとにその出身縣別の縣民性を割り當てて――所與のものとして考へて――違和感をあたへない、さういふ役割を擔つてはゐないだらうか? それは、血液型による性格判斷が一種の暴力としてその被判定者におそひかかるやうに。
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——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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