強調によつて明らかになるのは〈關係性〉だけであつて〈それ自體〉ではないのだといふこと、――それをとりちがへてはならないのだが、「神輿が白線のうへをすすむのをみると、車の不在が強調されてゐるやうにおもはれる」と書いて、その不在を述べることがそれ自體でなんの意味をもつかといへば、「私には車がゐないことが意味があるやうにおもふ」といふこと以上ではなくて、結局、「面倒でせうが迂囘ください」とかいふ、遠慮してまつりなどが成立してゐるのだといふことはその文では語られないのである、といふことを、反省した。
買つたもの。
吉川幸次郎・桑原武夫『新唐詩選續篇』岩波書店〈岩波新書〉、1954.5。
高津春繁『ギリシア神話』岩波書店〈岩波新書〉、1965.1。
貝塚茂樹『孔子』岩波書店〈岩波新書〉、1951.5。
池澤夏樹『バビロンに行きて歌え』新潮社〈新潮文庫〉、1993.5。
23:55
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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