昨晩、借りてゐた『続キリシタン資料と国語研究』(福島邦道、笠間書院〈笠間叢書〉、1983.7)の第3章を讀んでゐたら、それなら、キリシタン版はどのくらいの部数印刷されたのであろうか。それについて、長崎の廿六聖人館長パチュコ師(日本名、結城了悟)は、長崎版「こんてむつすむん地」におついてであるが、一三〇〇部印刷されたという証拠文献を示されたのである。キリシタン版は、一般に、一〇〇〇部から二〇〇〇部ぐらい印刷されたのではないかと思われる。
とあり、註して、パチェコ「長崎サンティアゴの鐘」(『キリシタン研究第十四輯』〈昭和四十七年〉)
とするのだが、原論文にあたらうとおもひ、調べたところ、論題は「長崎サンティアゴ病院の鐘」なのだつた。書誌を掲げておく。Diego Pacheco S.J.「長崎サンティアゴ病院の鐘」佐久間正譯、キリシタン文化研究会編『キリシタン研究』第14輯、吉川弘文館、1972.8。NDL-OPACにも第十四輯までをも含めて題名が採録されてゐるが、さうではなからうとおもふ。ちなみに、この論文は冨永牧太『きりしたん版文字攷』(富永牧太先生論文集刊行会、1978.4)において、「みたびこんてむつすむん地の版式について」だとかいふ論文においても取り上げられてゐるが、いま手許にないので詳らかにしないし、このあとにもかかはらないのでこれに留める。さて、間違ひを確かめたのはNDL-OPACにおいてであり、原論文にあたる必要はキリシタン版一般の發行部數の論據が見出せないかと考へたからだが、すぐにあたらうと決めたのは論題の誤記が重要であつた。しかし、Webcatにより十四輯を探したものの、近場にないので、一度は行つてもみんと、國會圖書館へ行くことにしたのである。上記件について調べてゐたらば、何の因果か天理ギャラリー第122回展 近世の文化と活字本 きりしたん版・伏見版・嵯峨本…のページを見出し(2004年の狩野さんのページから行つたのだけれど、狩野さんのページにいきついたのはなんでだつけ)、それでその資料からはなにか(最近の研究だとか)得るところがあるのではないかとおもひ、これも見るものにくはへて、はじめての國會圖書館詣でに行つたのだつた。
前置きが長くなつた。朝一番の講義だけ出て、結局大學を出たのは二限が終つたころなのだけれども、ついた。上記二件の借受申請(貸出申請といふのは貸出しくださらんことを申し請ふといふことで、主客がをかしからう(?))をし、利用者登録の申請をしたり、どこからくるのかわからないのでうろうろしてゐたりで、圖書カウンタに行つたらもう準備ができてゐた。一番最初にでてきたのは天理の圖録で(よくわからないのだが、二册以上一遍にたのめないのだらうか)、眺めてゐたのだが、ひとつ特に印象深く憶えてゐるのが、「キリシタン版の文字は小さい」といふことであつた。そして、小さく、大ぶりである。キリシタン版國字本大活字は、横幅が約29pt (10mm程度)で、小活字は約24pt(8.5mm程度)である(中根勝『日本印刷技術史』八木書店、1999.12、p. 118)が、嵯峨本の伊勢物語近畿大學本(慶長13年初刊)は横幅が14.2mmである(鈴木広光「近畿大学中央図書館蔵 嵯峨本『伊勢物語』(慶長十三年初刊) 組版と活字」『嵯峨本の印刷技法の解明とビジュアル的復元による仮想組版の試み』平成16・17年度文部科学省科学研究費補助金研究成果報告書、2006.3)。圖録で想像したのに過ぎないのだが、木活において、平假名が、キリシタン版の大きさにまで縮むのは、1800年ごろの印行を待たねばならないやうだ。山口忠男「初期きりしたん版の国字大字本について 「ばうちずもの授けやう」の印刷面を中心として」(『ビブリア』98号、1992年5月)では種字に木が想定されてをり、さうすると、この違ひはなんだらうと思ふ。今後資料を廣く探る必要があるやうである。さうかうしてゐるうちに、『キリシタン研究』第14輯の準備もできたやうで、受取り可能となつてゐた。さう長いものではなかつたので、必要な部分だけを拔出して複寫をしてもらつた。1枚24圓といふのは、1枚10圓でコピーをふだんしてゐるので高くおもはれた。それを待つ間に、大學の圖書館にはない、ヨハネス・ラウレス『キリシタン文庫』(原題略、上智大學、1958(3版))と、『活版見本』(東京築地活版所、1903)を頼む。しばらくしてきて、タイトルページをメモしたり中をいくらか讀んだりするが、英語ばかりでなく原語で資料が引かれてゐるのに挫折。2010年には著作權保護期間が、狂氣によつて延長されてゐなければだが、切れるので和譯がされることを期待しておく。マイクロフィッシュで出てきた『活版見本』については、マイクロ資料を使つてみるのが目的だつたので、すこし遊んですぐ返す。
そんなこんなで、退散して、パチェコ師論文を讀んだのだが、いろいろ問題があるやうにおもはれるので、また後日指摘しようとおもふ。
かひもの。
財団法人矢野恒太記念会編、矢野一郎監修『日本国勢図会』国勢社、1927、1984.6(42版)。
遠藤周作『沈黙』新潮社、1966.3。いつか記した『沈黙』後書きといふのは、これにあるもののことのやうだ。文庫類にはいづれもないやうにおもふ。
ラム『シェイクスピア物語』松本恵子譯、新潮社〈新潮文庫〉、1952.7。
23:55
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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