用例に宋の陸游『曾文清公詩稿に跋す』を引き、西漢の時に方(あた)り、專門名家の師、衆(おほ)きは千餘人に至る。然れども能く後世に見(あら)はるる者は寡(すく)なし。揚子(雄)、惟(た)だ一(ひとり)の侯〓(艸冠に巴)あるのみ。――故に識(し)る者は、千人と謂ふとも多しと爲さず。一人も少なしと爲さず。
とする。丁度『回思九十年』を讀み、私は従来、学会的な活動をしたことがない。東方学会にも名を列ねているだけで、参加したことも発表したこともない。それで学会からの推挙を受けることがないのは、当然である。
といふ行をみたあとであつたので、感ずるところあつてメモとしてのこしておく。
22:32
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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