もし顯在的な惡は救濟されえないとするならば潛在的な惡はどうなるのだらうか。たとへもしある人間が凶惡な事件を首謀し〈そんな奴〉が救濟されえるなど認められないと信ずとして、ではさう信ずる者は〈救濟に値する者〉なのだらうか。〈罪の重さ〉が違ふといふならば人を殺めるも迷妄に生きるも罪である。〈救濟〉といふ行爲のまへになぜ兩者を分別しへるのだらうか。
すつきりしない。
21:22
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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