本居は、日本は諸國の中に最も勝れて立ち勝り、ことに、音聲は五十音といふ過不足なく均齊のとれた最上の言語で、他言語などは、獸の使ふ音であるといふ。
まづ、本居の議論はその恣意を全面肯定してゐるのみであることを述べる。本居がその音聲を稱揚するとき均齊を引合ひにだすが、どこまで日本語の音を抽象化してでも、五十音ですべて記述できた時代はなかつたのである。いにしへからすでに二字で一音をなすものがあつた。文字の上においても、萬葉假名の時代においてyi, ye音が表記の上で區別されてゐたやうだが、wu音を記述することはなかつた。では、五十音をただの書きすぎと見て、實際の音聲は諸言語諸方言にまさるといふのはどうだらうか。
300字近く足りない(謎)がけふはこれにて。
23:02
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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