ときをり(といふより今がさうなのだけれど)自分の莫迦さ加減がどうしても許せなくなる(不斷はどうするかといふと開き直るのである)。こんなことを書くのも莫迦以外の何物でもないのだがたまにはいいやと書く。腦を酷使しすぎたのだ、たぶん(自分自身情けないと思ふが最近の記憶力減退などを鑑みて限界を感じるのは事實)。自分のキャパシティーに見合つた生き方が簡單にわかればかうはならなかつたのかしらん? とりあへず陰謀論に傾きがちなこの思考パターンとの御付合ひをやめたいものである。かういふのを「疲れ」といふのかしらん。遠因として年賀缺禮や寒中見舞を出したときの反應が極めて薄かつたことへの寂しさがあるのかもしれないとか云々。かういふときくらゐとか思つてはいけないのだらうか。寒中見舞を直接送つた人で返しを呉れた人もゐなかつたし(とか)。
22:42
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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