2005年9月24日(土)
机の上は片付かないし某で書いたものを「アヤシイ」と云はれて提示されたものがこれまた「アヤシ」くて(嵯峨版がタイポグラフィと無縁といふのはどういふ意味なんだらう、きりしたん版の次がギャンブル‐本木となる日本語タイポグラフィの歴史概説つてどうなんだらう、西洋活版術しか眼目にないのかしら)、むしやくしやする。
クールというのが「他人に干渉しない」などという意味だとすれば、モヒカン族はむしろホットだ 。
22:46
IEだと引用の「」が見えないんですか。なるり。 (kzhr さん) 05 9/24 22:49
切支丹版の次がギヤンブルつて……三百年近く経つてゐるではないですか (ふかは さん) 05 9/25 9:59
タイポグラフィは鑄造活字……だけの話であるから、ださうですが……。 (kzhr さん) 05 9/25 13:15
白井純先生の使用字種調査の結果を見ると、きりしたん版後期国字本においては鋳造活字と彫刻活字が混在して用いられていたように私には思えます。 (狩野 さん) 05 9/28 20:32
↑鋳造された活字にしても個々に見分けられる程度の違いはあるわけで、もし、彫刻活字でも覆せ刻りして追加が行われていたとしたら区別がついたかどうか…。 (狩野 さん) 05 9/28 21:02
單に鑄造活字だけなのではない、といふことでせうか。それをタイポグラフィと呼びうるか、といふことでせうか? きりしたん版@ウィキペディアの話でしたら、別に私が書いたのでもないので、なんともわかりません。 (kzhr さん) 05 9/28 23:40
木活字は同一字形の再現可能性を欠くのでタイポグラフィと混同されてはならない別物だと言う(そして嵯峨本の記述を削除した)218.*の人の説が理解し難かった。マージナルな例だけを挙げるからいけないのですね。 (狩野 さん) 05 9/29 6:29
まず、木活字を使ったタイポグラフィが存在することは、[URL] にあるとおりですね。手彫りでも一字種一字形を原則とした活字を作ることは可能であって、それを実現しようとする意識が存在するか否かで判断されるべきでしょう。 (狩野 さん) 05 9/29 6:46
ここで昨日書いた事に話を戻せば、一字種を一字形に収斂させる意識の強さから言えば、きりしたん版より後期の近世木活字版の方がむしろ強いのではないかというのが私の主観的印象です。もっとも、組めるように作った時点で木活字は立派な活字であって、タイポグラフィとそれ以外を区別するのにそのような意識の強さを云々する必要はないと思います。 (狩野 さん) 05 9/29 7:06
こちらを見たのか定かではありませんが、IPの方が木活字について加筆されました。 (kzhr さん) 05 10/1 0:22
最近の日記
過去ログへの誘ひ: 2002
2003
2004
2005
2006
2007
2008
2009
2010
2011
2012
2015
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め (中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
DiaryMaker1.02b
Script written by れん©
Mail me for annul@karpan.net
annulをkzhrに@の後ろにmail.をつけてください。
著作權で保護されてゐる著作物は著作權者の許可なく、私的な範圍を超えた複製をしてはなりません。
Copyright some right reserved.
この日記のKzhrの作品 については、クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(by-sa 日本) の下でライセンスされています。
- -
-