アルバムなので眺める。しかし、文士とかいふ職業は、親が吉田茂といふのはあつても、ここまで生涯を公に曝されるものなのか。祖母宛の幼年の手紙、父親の履歴書だの辭令だのが載つてゐるのはなかなか奇妙。p.9「「交遊録」原稿冒頭「牧野伸顕」」といふキャプションのある原稿の寫眞、「旧字旧仮名使用厳守のこと!!」といふ書き込みがあるのが、p.74「「時間」原稿冒頭(「新潮」昭和50年1月号)」だと、「新字」「旧かな」「捨がな無(無は鉛筆による書込:引用者(?)註)」の判が押され、p.80「「絵空ごと」原稿(「文芸」昭和46年3月号)」では「新字新カナ捨カナ使用」となり、時間経過があるわけではないが、少し面白い。幼年の健一の文章は、ほぼ現代仮名遣におなじうして、大正9年あたりから「ゐ」だの「ゑ」だのが遣はれはじめる。雜誌掲載のものが、頭だけ出てゐたりするのを眺めて、p.57、p.58、pp.60-61、に築地後期六號(或は8ポイント)を遣つてあるのを見出したが、カタカナも『辭苑』のやうには變へてゐなかつた。印刷所が銘記されてゐるのは、pp.60-61の『批評』(批評發行所、第1卷第1號及び第2卷第4 號、同6號)の奧付であつて、東京市小石川區駕籠町五の宮島印刷所。吉田茂の自筆の履歴書(外務省入省の際に使用)があつて、マークアップしながらのデジタル化を試みると、
履歴書
東京府平民戸主 吉田茂
- 一父
- 東京府平民無職業
- 竹内綱
- 一母
- 京都府平民商業
- 藤田九平女瀧(亡)
- 一養父
- 福井縣平民無職業
- 吉田健三(亡)
- 一養母
- 東京府士族官吏
- 佐藤新九郎(亡)女士
- 一本籍
- 東京府豊島郡渋谷村廣庵八十八番地
- 一原住地
- 東京府豊島郡渋谷村廣庵八十八番地
- 一學事
- 明治廿二年二月神奈川縣高座郡明治村耕余義塾(私立)ニ入學同廿七年四月卒業ス
- 明治廿七年九月東京府糀町区日本中學校(私立)ニ入學同廿八年退校
- 明治廿八年九月東京神田区高等商業學校官立ニ入學仝年拾一月退校
- 明治廿九年九月東京四ッ谷区學習院官立ニ入學仝丗七年七月退校
- 明治丗七年九月東京帝國大学法科大学ニ入學仝丗九年七月卒業(証書写別低ノ(?)如シ)
- 一職業
- ナシ
- 一任免
- ナシ
- 一賞罰
- ナシ
右々通 吉田茂(印)
明治三十九年八月廿八日
「明治39年、外務省入省に際して提出した吉田茂の履歴書」『<新潮日本文学アルバム>吉田健一』(新潮社、1995、p.7)による
23:59
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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