遠藤周作の『沈默』に、聖書から上記の句が引かれてゐるのですが、一寸遣はうと思つて出典を探してゐるのですが、どこだかわかりません(聖書のほうも沈默のほうも)。マタイによる福音書26:50かヨハネによる福音書13:27で、後者のほうだと思ふのですが、欽定譯だと"And after the sop Satan entered into him. Then said Jesus unto him, That thou doest, do quickly."とあり、「行きて」の部分がどうにも見當たらない。ただ、前者だとなぜお前がをるのだ、といふ意味の氣がする(聖書教會の譯もさうなつてゐる)。なぞ。
ところで、この句はイエスがユダへと投げかけた句として知られてをりますが、聖書を借りた本棚に『新約聖書物語』といふのがあつて、これは昨日讀んだ『スイスジョーク集』の見出しに『舊約聖書物語』の句が遣はれてゐるといふので謝辭があつたので、昨日は時間が無かつたけれども今日は見ようと思つて見たら、「お前のすることをせよ」と云つたのは、ユダにパンを與へた後で、さうするとマタイ26:50は位置がをかしいといふので調べなおしたのが上なのですが、そのほかに、『沈默』のやうに、ユダについて考察してあるのを見て、ほう、と思つたのでした。『沈默』、『新約』ともに、ユダが裏切り者と呼ばれる一般的理由、銀三十枚を否定してをります。それをいふならペトロとて。そこからの解釋が違ひます。『沈默』では、ユダもまた痛みを負つて、「キリストと同じやうに死んだのだ」(引用ではありません)といひます。對して、『新約』では、ペトロはイエスを裏切つたことについて泣き、再び神を見出した、だがユダは絶望して死んだ、この神を見失つたまま死んだといふのは罪であり、裏切りなのだ、といふのです。これは實に興味深い見方でありました。
ところで、
Quod Facis Fac Citius(Ioannem 13:27)
Amice Ad Quod Venisti(Matthaeum 26:50)
をUniversで、文句を14 DTPpt、引用元を12 DTPptでやつて、アウトライン化したものをEPSでどなたか送つてくださいませんか。序でに「汝」「爲」のヒラギノのウェイト8のアウトラインも付けていただけると幸ひ。こちらは18 DTPptにて^^;
20:27
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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