正字、といふとまづ想起されるらしい戰前の漢字遣ひは、我々から(たとへ正字主義者であつてさへ)失はれて久しいのだから、それについて何かをいひたいのであれば、それらの時代の文字状況を知つてゐなければ、話を聞くに値しない。最低限の智識として、『明朝體活字字形一覽』や『聚珍録』の資料を總覽しないことには、「野蠻な温故知新」を呼び起こすだけである。
「所謂」康煕字典體は康煕字典に拘束された規範であり、白川氏のいふ正字は甲骨文字や金文に拘束された規範である。戰後は當用漢字表或は常用漢字表であるが、戰前は、といふと實に多樣な規範意識があつたとしか、今の私にはいへないのであるが、少なくとも、單字置き換へで濟む状況は全く存在しなかつたのに、それで濟むと考へる人間のなんと多いことか。
今の自分を否定して、するのは勝手だが、その間に生まれた空ろをしかし彼らはどうする積りであるのだらう。
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——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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