舞姫を少し讀む。エリスの子供できたで讀み止める。歸りに齊藤美奈子『妊娠小説』を立ち讀み。いつのまに子供できたんだらうが冰解する。ところで、イワタメインなのだけど、時折違ふ書體(多分本蘭のM?)の漢字が混ぢつてゐるのは、何、これ。
圖書館で福田ますみ『されど我、處刑を望まず』を借りる。報道では被害者、加害者といふくくりをされてゐるのに過ぎないので、ここの被害者に立ち入つた想像などがなされないのは仕方のないことか。しかし、報道の整備に對して日本が狹すぎるのかもしれないとも思ふ。各地のニュースが疎になるのも考へものであるのだが、かうもあちこち飛び込んできては、野次馬的報道しか術がないのかもしれない。一審が早すぎて決定が遲すぎる? いろいろな思考が飛び交ふ。
自分の身近な人が殺されたら自分はどう思ふだらうか。以前にも書いたとほり、何をしていいのかわからないといふのが實際だらうと思ふ。もし犯人を憎んだとしても、國家如きに自分の怨みを代行して欲しいとは間違つても思ひたくないとは思ふ。
被害者支援の問題は、死刑廢止の最も大きな問題であるとはわかつたのだが、どんなことでもさうであるやうに、起きてすぐではなく、起きてしばらくしてからの被害者の聲があまりに少なく、どう想像していいのかわからない。まづは被害者やその家族の聲を聞くこと。また、被害者やその家族が聲を發することができるやうにすること。そこから始まるのだらうか。
23:18
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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