『秀英体研究』の初號見本を見て、字游工房の游築初號かなを見て、大日本スクリーン製造の築地體初號假名を見ると、築地體初號假名が一番すつとしてゐる。刃物のやうな。どこで讀んだのか定かでないのだが、活字の鋭さを再現したかつたと小宮山さんが書いていらしたやうな記憶がある。その試みはいとも見事になされたのだらう。そして、そのゆゑに忌々しき崇高さを得たのではないかと思ふのである。與へられた活字そのものと云つて過言でないかのやうな書體は、印字の段階を經なければ扱ふことすらできないやうな――そしてその印字の出來不出來が、彼の才能であるのだらう――そんな、崇高さである。
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——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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