M+のMLに入る。狩野さんがいらつしやるので私の出番はないと斷言できるが、とりあへず思ふには、そもそも古い人間(死)なのでモダーンなのは好みでないのは措いて、「四角志向」だなあ、といふこと。今白川先生の本を讀んでゐて卜文の世界に誘なはれてゐるので(4月のカレンダーがとてもとても素敵なのだ。狂つてしまはうかとも思ふ(謎))、この神との契りを示す文字の動きに、四角は合はないと強く思ふ。いや、神は失はれてゐるので今も字を書くときも神に捧げてゐるかといふと違ふのであるけれど。私が活字の和字書體で好きなのは築地の後期三號系である。これらは四角に收まるどころではないやうであるが、しかし、四角い活字の面に彫られてゐるのである。活字としての完成度は三號に讓るけれど、造形の美しさは一號が一番だと思つてゐる。上代からの筆脈と、小宮山さんもお書きになつた、「四角のなかに押し込めること」とをうまく兩立させてゐるやうに思へるためである。これらをうまくあけて組んだら一日惚けてゐられる氣がする。云ひ過ぎか。そもそも、四角志向だとプロポーショナル設定が(フォント製作者として(蹴))非常につまらないと思ふのだが、しかし、これはこの分の中にあつても相當勝手な主張なので聞き流されたい。
閑話休題。整理されるとは、四角のなかに文字を押し込めることなのだらうか。自分自身復古主義者に陷りさうになつてゐる現状に氣がついてゐるが、それでも、疑問に思ふのが、漢字と和字が合はないのを和字を漢字に近づけることで解決がつくのか、といふことである。わからなくなる一方であるので此れにて話を擱く。
23:40
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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