痛みが吾を壓潰さうとしてゐる
肉が傷むならそれを切つてしまへばいい
しかしここにあるのは心の痛みだ
忘れられ行く者の痛みだ
改革が吾を虐げる
何ゆゑだ?
吾は戀人を棄てた男に
何ゆゑだ?
未だ同じ女なのかと笑はれなければ?
忘れられ行く日々の息吹を
吾々を豐かにして呉れるものを
忘れないでゐることの
何ゆゑだ?
何がお前の氣に食はないと言ふ
否吾は解つてゐるのだ
これが姥捨山を待つ姥であること等
――――
解説:今日移動中のことです。電車に乘る私の向かひの人の新聞の文化面の題名を見て、思はず涙ぐみました。
そこにはなんとあつたでせうか。季語「改革」とあつたのです。お互ひの言ひ分もまた涙を誘ふものでした。改革派は「ずれてゐる季語を正す」と言ひ、反対派は「傳統破壞の暴擧」と言つてゐました。いづれの意識にもグレゴリオ暦しか無いやうで、太陰暦とはすなはち過去のもので役立たぬものといふ認識が垣間見れたやうに感じたからです。
太陰暦の方が自然のリズムと一致してゐるといふことを鑑みれば、傳統を持ち出すまでもなく、こまやかに季節を表現できることだけで「ずれ」などと言ふのは莫迦の丸出しに過ぎないとお互ひに氣づくべきでせう。
日本は文語といひ、みづからを豐かにしてくれる二重生活を好き好んで捨てますが、その愚にいい加減氣づきはしないのでせうか。
23:22
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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