あるようなないようなを讀んでゐてめづらしく引用をしたくなつた。大變めづらしいことである。我ながら。何せ、印象薄き人間なのだ。自慢のやうに聞こえかねないが。
海までは、ほとんど直線の道筋なのであった。ほんとうは最後の低い塀をまたがないで、少し右にそれて大回りするのがまっとうな道なのだったが、そこまで直線で来るので、すっかり勢いがついてしまい、まっすぐが止まらなかった。
この一片を讀んだとき、私も止まれずに低い塀を一足に飛び越えてしまつた。確かに、大回りをするとなんだか氣分をそがれたやうに氣分がひねまがる。勢ひがついた水が曲がり角でおとなしく曲がつてくれないやうに、私の氣分もおとなしく曲がることを良しとはしなかつた。しかし、普段はどうにも足をあげるのが恥づかしく、ためらはれる。それで仕方なく、女の子でさえ近道する道をぐぐうつと遠回りを敢行するのであつた。
病を得た筆者は部屋を眺めてゐて、回復期に入り、もろもろが四角や丸の形を持つてゐると氣づく。そして、どんどん丸や四角に「還元」していくが、ふとぞつとさせるものに氣づいた。
丸四角の積み上がりの中に、丸四角でないものがある。どうやっても丸四角にならないものがある。それは、横たわって丸だ四角だと喜んでいる自分じしんのからだなのである。こんなにたくさんのきれいな丸四角の中で、自分だけが異質のかたちなのである。
さんざん自分で丸だ四角だとやつてもはや線形しか殘らない部屋。その部屋で、自分はどんどん不定形になつていく。それは丸や四角などの整つたかたちとは縁遠い、なにやらかがうごめいたり、存在してゐる證なのだらうか。
23:32
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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