皆が「今、今」と言ってこの本を批判するが、いつ執筆されたかって、改正当時なのです。今をもってこの本を批判する人のなんと論点のずれていることか。
しかし、やはり50年は私でも長いと思います。ただその間に失われたものの多さを、外国人云々などで切り捨てるのはどうかと思います。外国人を理由に自国語を改めるのはなんとおかしなことか。別に外国人を排斥しているとは思わないで頂きたいが。
私がこの問題で一番良くないと思う点は何か。それは、略字を正字扱いとしてしまったことです。例えると、数学で公式だけ教えて原理を説明しないようなものです。
今使われる常用漢字で、多くが略字です。多分、ほとんどそうでしょう。ただ、それは個人の手紙で使う分には一向に構わないが、公式の文章、例えば公用文とか、通知書とか、そういうのにまで略字を敷衍していいのか。俗にまみれてはいないか、それでは。
又、仮名遣いも例えば子音抜きで喋ると言う奇特なことをしたときに、実際はh音が含まれている事実に気付いたりします。現代の音に基づいているはずの現代仮名遣いが、ここに矛盾してしまうのです。
そういった点で現代仮名遣いや常用漢字が制定されてしまった日本は哀れむべき存在といえましょう。
14:23
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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