老婦人は、思い出そうとすれば、その日はどんな日だったか、どんな客が来たか、そこまでしっかりと思い出すことが出来る。だが、そこまでの記憶力を持っていたっていなくたって、この客を記憶に留めておいたのは、この店の主人が矢張りこの老婦人であるからだった。
あの日はどんな日だっただろう。婦人の言葉を借りるには、「空から大粒の雨がざあざあと降る、とてもやとても、店に客が来ない日」だった。その日来た客は、晴れた日の四分の一もなかった。
§
ざあざあと雨が降り続いて、店の主人はとても暇だった。店を開いて十数年、毎年夏にだけ開く店で、晴れの日は大分繁盛して、店をやっていくのに十分な利益は得られた。しかし、雨の日ともなると、一気に閑散として、雨を眺めるしかなかった。主人は別に家を持っていて、店には、商品の、欠き氷と飲み物しか売らないので、壁と屋根しかない簡素な建物であったからだ。
<続>
21:56
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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