僕は正義なんて信じませんし、なんていうと、生意気なんて言われるんだろうなと思い心にしまう。
正義ほど揺らぎやすいものは無いのに、何故それにすがるんだろう?
遺族の感情を裁判で考えるのはありか、なんていうと、許さないなんて言われるんだろうなと思い心にしまう。
所詮刑罰は見せしめだろう?
ここに書き上げた時点でしまってない、それは違うのだ。私の本心、そんな大げさでもないかもしれないけれど、それはもっと過激、過激なはずなのだ。だけれど、感情の高ぶりは涙に流されて消えてしまうのだ。
これは良いことなのか、悪いことなのか。私には解り得ない。
18:16
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
DiaryMaker1.02b
Script written by れん©
Mail me for annul@karpan.net
annulをkzhrに@の後ろにmail.をつけてください。
著作權で保護されてゐる著作物は著作權者の許可なく、私的な範圍を超えた複製をしてはなりません。
Copyright some right reserved.
この日記のKzhrの作品については、
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(by-sa 日本)
の下でライセンスされています。