学校の数学の先生が「相似な図形」を多発する。それが一々耳に引っ掛かってしまう。
果たしてそれは適切か。
#今は不幸にも冬休み(違
「〜な」は、いうまでもなく〜が形容詞の時に使うものである。そもそも形容詞とは如何なるものを指すのか。手持ちの辞典で新しい順だと、
新明解(#5): 物事の性質・状態をあらわす言葉。日本語では用言の一つで、言い切るときの形が、「高い」「美しい」のように「い」で終わる言葉。
辞林21: 品詞の一。用言に属し、活用があり、終止形語尾が口語では「い」、文語では「し」であるもの。事物の性質・状態または心情・感情などを表す。「早い」「楽しい」「あまねし」「うるわし」の類。活用は、口語では一種類であるが、文語にはク活用・シク活用の2種類がある。
岩波(#3): 無
まず、相似は性質ではない。2つ以上のものの相対関係である。では、状態はどうか?状態とは、
新明解: 我々が見たり聞いたり触ったり感じたりすることが出来る物事を、一時点で切り取ってとらえた時の、形や性質のありかた。
では、どんなものか。
答えをいうと、相似は、名詞である。つまり、「〜な」なんてつかえっこない。「〜である」ならいいのだ。また、「〜の」も有りだ。要するに、「相似な図形」は文法上おかしく感じられ、「相似の図形」は用途が古いが文法上もおかしくないのだ。よかった、よかった。
16:18
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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