聖書を昔持っていた。なぜかと言うならば、教会学校が行ったからであるが、今無神論を唱える僕が何故持っていたかと言うと、教会学校のパーティーがあり、その菓子に惑わされたのだ。そして連続で行き続け、ばったりと止めた。今となってはその当時の心境など忘れてしまったが、行くのを止めた後もその勧誘は続いた。勧誘している人が気づくこともないことはなかったが、顔をうつむけ、逃げてしまった。さてなぜ過去形かと言うと、止めたあとも保管していたそれを廃棄されたからだ。折角自分で作ったバッグと共に。聖書は著作権なぞとっくのとうに切れているはずなのに、何故日本語版の公開が無いのだろう? 青空文庫には有るのか? まあ、いいや。
11:13
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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