時計て、そこまで気にするものかね。
今僕はタスクバーにTClockを常駐させて、常に時間をあわせている。 しかし、それよりも梁にあるずれた掛け時計を見てしまう。
今行っている塾の隣の席の話した事のない子は、腕時計でちらちらと時間を気にしているが、僕は教室にある安っぽい色をした時計でいつ終わるかのみ見ている。
時計が無けりゃ無いで「不便だね」で終わるし、あったらあったで見る。そんなもんでいいと思うのだが、時計が無いと、おどおどする人がいるかもしれない。 いたら、その人は体内時計が甘いんだろうね。
僕も距離感覚時間感覚共に悪いが、別段不便することも無い。 又時間間隔が無いと言うが、大体の時間がわからないだけで、この時間を費やすことが有意義か無意義かしか感じないので、この性格にはあっている。
結局、時間なんてあてにならんね。 全く日没と日の出が境であった昔の時間の方が良い気もするが、まあ慣れてしまったし良いや。
11:08
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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