2007年10月26日(金)
今囘は第五を收める。
○第五ざるべれじいなの事
弟
御母ひるぜん さんたまりあの 御とりあはせを頼奉るおらしよ別に有や
師
中/\さんたゑけれじやよりもちひ玉ふおらしよはおほき中にもとりはきさるへれじいなと申すおらしよ是第一也今をの/\に教ゆべし○あはれみの御母こうひにてまします御身に御れいをなし奉る一命かんみ我等かゑすへらんさにて御座ます御身へ御れいをなし奉るる人となるゑわの子共御身へさけびをなし奉る このなみだのたにゝてうめきなきて御身にねがひをかけ奉る是によて我等が御とりなして」(二十二オ)あはれみの御眼を我等にみむかはせ給へ又此るらうの後は御たいないの貴き實にて御座ますぜずゝを我等に見せ給へ深き御にうなん深き御あいれんすくれてあまく御座ますびるぜんまりあかな貴きでうすの 御母きりしとの 御やくそくをうけ奉る身となる爲に 頼み給へあめん
弟
此さるべのおらしよをば誰人の教へ玉ふぞや
師
さんたゑけれじやより教へ玉ふ也
弟
此おらしよを申時は誰人に申ぞや
師
御母びるぜんさんたまりあに申也
弟
御母より外に別のべあとにも信心を持」(二十三オ)事有や
師
いづれの べあとにも信心有べき事 專也中にもしゆごのあんじよと我が名に付たる。。べあとに信心を持べき事肝要也
弟
しんがう仕るべあとに對し何たるおらしよを申べきや
師
さんたゑけれじやより教へ玉ふおらしよあり又はあてるのうすてるあべまりやをも申也
弟
以前ははあてるのうすてるのおらしよをばでうすへ申上奉るとはしめし給はずや
師
其分也さりながらべあとに對してはあてるなうすてるのおらしよを申事もよき也即其べあとの御功力によてでう」(二十三ウ)す御あはれみをたれ給へと頼み奉る物か或は此おらしよを我等が爲にでうすへさゝげ給へとべあとに申上る事も有也
弟
されば べあとに對して 信心をなし 其御かうりよくを頼み奉る事はいつの時分に然るべきや
師
それはふだんの事なるべしされ共別てさんた ゑけれじやより べあとのいはひをおこなひ玉ふ時也
弟
さんた ゑけれじや より べあと日をいはひ玉ふ事は何のゆゑそや
師
あまたのしさいありといへとも中にも五の儀あり一にはべあとをもて此世界にあらわし玉ふ御きどくを見奉りてでうすを」(二十四オ)貴びうやまひ奉る爲也二にはさんたゑけれじやより下男にをひていはひ玉ふべあとへの 御うやまひを 見て天にをひて其くらふりあの大なる事を分別致す爲也三にはべあとの御さげう御善徳をしりて我等と同き人にて御座ませば御かうせきをまなび奉るべき爲也四には信心をおこして御とりあはせを頼奉るべき爲也五には御存生の時御母にてましますさんたゑけれじやに對て死る事をもかへり見給はずかう/\をつくし玉ふ御子なるによて死し玉ふあとをもあがめ給はん爲也」(二十四ウ)
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——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め (中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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