Diary/ + PCC + — HIMAJIN NI AI WO. Love Idle

2007年4月1日(日)

伴侶ができました

うそです。

……ぐだぐだしてたので今日特に記すことがないです。

23:48

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2007年4月2日(月)

食卓

食卓に手際よく料理をならべられるやうにするにはそのまへも手際よくやらねばならないのだなあとあらためて思ひました。キャリアが違ふ……。

23:55

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2007年4月3日(火)

……究極の選擇?

寢坊と職場で作業中のうたたね。……寐るのは決定事項。

23:55

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2007年4月4日(水)

縮約日本文學大事典より

縮約版だからか個別の項目に筆者の記載はないが、著者一覽などから推すに、橋本進吉の筆であらう(吉利支丹文學の擔當は新村出とある。新村はまだ死後39年である。しかし、彼は書誌學の擔當にはなつてゐない。このゆゑ、吉利支丹文學については引かないでおくが、書誌學は大丈夫であらうと考へる)。編者も筆者も沒してより50年を明かし、本書の初版よりも世は50の年月を閲した。ゆゑに著作權の保護は「おそらく」存續してゐないと判斷し、藤村作編『縮約日本文學大事典』(新潮社、1955.1)より「吉利支丹版」の項目を紹介しようかとおもふ(p. 253-4)。基よりこれが「ただしい」といふので紹介するのではない。最新の研究が50年前の書物に記載されてゐようはずもない。しかし、われわれが見えるものは彼らがみたものからさう遠くもなつてゐないし、ものの見方自體は彼らに教はつたのである。姿勢を正しくして見よ、とまではいはずとも、古いのだと省みないことは認めがたいとは云はう。

吉利支丹版 きりしたんばん 書誌學 【解説】文祿・慶長の頃、西洋式印刷技術によつて耶蘇會派の基督教徒が出版した活字版の刊本の總稱。その刊行地によつて、加佐津版・天草版・長崎版など分けて呼ぶ事がある。【由來】室町時代に西洋人が日本に渡來したが、耶蘇會(ゼスイトJesuit)の教父等が日本に來つて基督教(吉利支丹)を弘め、天正の頃には九州から中國を經て近畿地方に及び、諸侯豪族の歸依する者も少くなく、處々に寺院や學校を置いて京都を教へたが、書物文書を印刷に附するのが有益であると考へ、一五九〇年歐洲から來た印刷機械をマカオから將來して耶蘇會學林に備へ附け、且つ日本字を彫刻すべき職人をも伴つて來た。それより、耶蘇會や信徒に手によつて、西洋式活版によるローマ字及び國字の刊本が日本で出るやうになつたのである。【刊行書】刊行せられた書物はかなり多かつたやうであるが、今殘存するものは二十九種で、いづれも一二部または二三部に過ぎない。内容は基督教に關する宗門書と辭書・文典及び日本語教科書などの語學書であり、年代は一五九一年のものが最も古く、同一六一一年のが最も新しい。刊行者は初めは加津佐の學林、次に天草の學林、最後に長崎の學林であり、又個人としては長崎の後藤登明宗印、京都の原田アントニヨがある。ローマ字のものと國字のものがあつて、その内、ローマ字のものは早くよりあるが、國字のものは西暦一五九七年のものが最も早い。〔主要書目〕サントスの御作業二卷一册○ドチリイナ・キリシタン一册(一五九二年)○信心録一册○口譯平家物語四卷○伊曾保物語二卷○金句集一卷○アルバレス氏拉丁文典三卷一册○拉葡日對譯辭典一册○コンテンツス・ムンヂ四卷一册○どちりいな・きりしたん一册(刊年未詳)○題未詳教義書(卷初に「ばうちずもの授けやうとびやうじやにへにてんしやをすゝむるけうけの事」)一册○落葉集一册○サルバトウル・ムンヂ一册○ぎやどぺかどる二卷○ドチリイナ・キリシタン一册(一六〇〇年)○どちりいな・きりしたん一册(同年)○和漢朗詠集上之卷一册○日葡辭典一册○日本文典三卷一册○太平記拔書六卷○サカラメンタ提要一册○スピリツアル修行鈔二册○フロスクリ一册○こんてむつす・むんぢ四卷一册○ひですの經○精神の鍛錬一册。イグナシヤス・ロヨラ編○精神修養の提要一册。バルトロメウ・デ・マルチリブス編○おらしよの翻譯(付きりしたん教の條々)一册○金言一册(マヌエル・サ編)。併せて二十九種を數へる。。吉利支丹版の刊本は、徳川幕府の嚴重なる吉利支丹禁止のために、我が國には殆ど絶え、その印刷術もこれを傳へるものなくして斷絶した。
【參考】日本吉利支丹文化史(新村出)○吉利支丹語學の研究(土井忠生)○日歐交通史(幸田成友)||Laures, Johannes: Kirishitan Bunko (A manual of Books and Documents on the Early Christian Mission in Japan), Tokyo, 1940. (Supplements; 1941, 1951.)

23:48

  • [URL] ←縮約版でないものです。橋本の署名があります。 (空山さん) 07 4/4 23:58
  • ご教示ありがたうございます。aを入れるのは「送信」の前のテキストボックスにおねがひします^^; UIの改善が必要ですね……。 (kzhrさん) 07 4/6 2:50
  • ……とおもひましたが、リンクのバグのやうですね。いづれにせよ、修正しませんと。 (kzhrさん) 07 4/6 2:52
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2007年4月5日(木)

駄文の恥づかしさ

『一冊の本』第12卷第4號(朝日新聞社、2007.4)がいまごろ屆く。人にものをみせるのが厭なのは、傳へることがいやなのだらうか……などと書くと青年の惱みといはれるのが落ちで、それがわかつてゐても書きたいのはなぜであらう。NOといへない私? 創作をしなくなつたのは未熟さが恥づかしいのもあるのだが、その恥づかしさに耐えたあげくが知的マッチョならば、耐えられないはうが美しいのだらう。

シラバスをみながらうける授業をかんがへる。多少の興味でも努力するほど根があるだらうか。しかしなければ卒業も危うい。

23:55

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2007年4月6日(金)

Macのアイコン竝べかへ

どういふ原理に基づいてゐるのかさつぱり理解できないのは私がM$に洗腦されてゐるからですか、さうですか。

23:55

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2007年4月7日(土)

民法典改正をめぐる「傳統がうんぬん」

かういふ政治家のなんにんくらゐがマザコンなのかなあと輕い興味を持つやうなどうでもいいやうななけふこのごろ。

23:23

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2007年4月8日(日)

伏線回收の速度が上がつてきた?

青山剛昌『名探偵コナン』第57卷、小學館、2007.4。

InDesignはスタイルをつかはないと重くてしかたがないのに、スタイルでできることはあんまりない罠。結局地道に作業。

23:59

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2007年4月9日(月)

さういふ季節

わが校は入學式が遲いらしいやうでして、それでも小中學生よりははやいのではないかと存じますが、けふが入學式なのでありました。

しかし構内に適當な收容施設がなく餘所でやるため、巧くすれば大量の新入生と鉢合せになる虞はないのですが、けふは、書類當日に時間割を組むといふやうな面倒ごともあり、ぶつかつてしまつたのでした。舊教養部A棟に在學を證する書類を交付する機械があるのですが(さういへば、わが學科の某教授は學部長選擧で勝つたやうです(某出版社の新書の件もあり、「政治好き?」といふ聲を聞いたことがありますがどういふわけでかのかたが立候補なさつたのかは一學生にはわからぬといふものです)。けふは入學式に參加させられてゐたやうでした)、突然の強い雨を急ぐやうにそこに行くと、授業こそはじまらないものの授業のガイダンスがあつていよよ新學期といふのでそこも混んでゐたところに、なにをしてゐたのかはしらないけれども外に出たいらしいどこかの新入生が大擧しておしよせ、この列は何?といひながら押し寄せるので聲が非常に近く、「これはあれなんだよ」といふ納得のこゑで去つて、しかし機械がおそいのと列が長いので10分しても新入生と列がおはらないで、却つて新入生のはうがはやくゐなくなりました。

證明書をやうやくもらふと、雨はやんでそのあとは降りませんでした。

23:55

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2007年4月10日(火)

勸誘の日

勸誘合戰のほとぼりが殆どさめてから入つた自分の選擇は金錢面はともかく選擇をきちんとするといふのでよかつたのではないかと云々。

とりあへず學科の後輩にあたる子が新歡されにきた。2人なのでふたりとも入れば長く持つのではないか。私のうへにはおなじ學科のひとはゐないので、よいことである(學科の男子が何人ゐるのかと質問すると1/3といはれた。どうやら男子率があがつたらしい。謎)。

23:09

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2007年4月11日(水)

本日の歸宅模樣

新規經路を開拓しようともくろんでみたものの、あまり效率のよい道ではありませんでした。ざんねん。

23:55

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2007年4月12日(木)

遲刻

前期は體育を登録できないなとかんがへなほしたけふこの頃、授業開始ですが私は寐てをりました。

『芸術新潮』第58巻第4号、新潮社、2007.4。
をいただく。

23:55

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2007年4月14日(土)

土曜日

けふは土曜日らしいです。なので平日しかださないランチメニューがけふはありませんでした。…………私もお店の人も働いてゐるのに。

23:55

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2007年4月15日(日)

貧乏暇なし

出費に收入がどうも見あはない。ので働きにいくのだがさうすると餘計見あはなくなる。はてさて。

23:37

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2007年4月16日(月)

この時期の雨は寒くていけない。時間の枠が急に細かくなつたことを理解してもなんとなく急ぐのが精一杯で結局は不滿を導く。ほんたうは枠なぞいらないのだが、さういふことは通用しないので、なにか折合ひのないものか、と思ふのであつた。

23:55

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2007年4月18日(水)

胃もたれ

さいきん中華を食べに行くと胃の具合がすぐれなくなる氣がする。もともとあまり食べにいかないので、だめになつたのかはわからない。

最近日記を書かないで寐てしまふことがふえてきたのだが、購買貸借状況。
田中利光『ラテン語初歩』改訂版、岩波書店、1990.2、2002.3。金曜日購入したものの書き忘れ。
Carter, Harry. A View of Early Typography. Up to about 1600. Oxford: Clarendon Press, 1962. London: Hyphen press, 2002. 借覽。3weeksで讀めるのだらうか。

23:51

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2007年4月19日(木)

おもひだせたこと

早く起きて靴を買ふ。そのままNDLへ。千代田線日比谷驛でいろいろみつける。こんど寫眞を撮りにいかう。NDLでいろいろみる。複寫をとつたものなどメモ。

土井忠生『吉利支丹文獻考』三省堂、1963.1。活字がふしぎ。
橋本進吉『文祿元年天草版吉利支丹教義の研究』東洋文庫〈東洋文庫論叢〉、1928。
H. チースリク「新発見のキリシタン版」『キリシタン文化研究會會報』第27年第3號、1987.12、p. 58-66。
――「キリシタン印刷所に関する一考察」『キリシタン文化研究會會報』第27年第4號、1988.3、p. 107-17。

松岡洸司『国語学研究』1「キリシタン語学 16世紀における」、ゆまに書房、1991.11。の書體が岩田のまがひもので奇妙。もちろんディジタルフォントだからかういふのである。
先日死去した張秀民の『中国の印刷術 その歴史的発展と影響』(廣山秀則譯、京都: 關書院、1960)をみるが、いい本であるとの印象はなし。尤も原著は改訂がされてゐるし、聞いたところによるとかなり薄く譯してあるさうなので(なにせ日本語で發表されたとおぼしき文獻の引用の言語まで原著通りである。譯や讀解もない)、原著にあたればよかつたのかもしれぬ。

サトウの論攷をいくらか後日受け取り複寫に囘して移動。移動の途中にかひしは、
林巨樹『国語の表記と表現』文化書房博文社、1967.4、1983.5(増補改訂版第2刷)。
池澤夏樹『新世界へようこそ』2「世界のために涙せよ」、光文社、2003.6。こぶりななので買つてみた。
――『池澤夏樹詩集成』書肆山田、1996.1。池澤の本を見るとあはれにおもつて買つてしまふ。
日高重孝『傳説の日向と宮崎名所』宮崎: 宮崎市觀光課、1940.2。
近代文學社編『現代日本文學事典』河出書房、1949.7。背表紙が分解してゐる。どうしませう。

『アイデア』別册「基本日本語活字見本集成OpenType版」、誠文堂新光社、2007.4。みせていただく。重かつた。

23:55

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2007年4月20日(金)

雜務色々

「血」を感じつつしかし事務屋にはなりたくないといふだいぶ昔の決心もあたつてゐるなあとおもふけふこのごろ、疾風怒濤のやうにとつとと過ぎるといいとおもひます。

23:55

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2007年4月21日(土)

Mozilla Party JP 8.0

いつのまにかmozilla.party.jpではなくなつてゐる件。3囘目の出席、だらうか。去年よりもたいへん樂しめた。

23:58

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2007年4月22日(日)

6th Mojimoji Cafe

3囘目の出席で、「もじもじカフェに對する意見」で文字に偏りすぎ、と書いたが、ただ私がさういふのしか出てゐないだけではないかと氣づく。しかし、いままでのテーマは書體制作、國字、ユニヴァーサル・カラー、文字コード、正字體、書體觀察で、あながち間違つたことではない。次囘はアラビア書道で、必見。

筋立ててメモを起こす時間はないのだが、書體觀察といふものがあのやうな場で話題にできること自體はよかつたらうと感じる。懇親會においでにならなかつた西岡さんより、
『WEB+DB Press』Vol. 1〜36総集編[Vol. 37?]、技術評論社、2007.5。
をいただく。懇親會ではなんだかんだでいろいろな方と話した。こちらの身の上を話すことが増えるのはしかたがないとはいへ、我語りは好きではないのでどうにかならないだらうか。

23:55

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2007年4月23日(月)

見ぬものきよし

小形さんのウェブ日記において、規格のアンチテーゼとしての「字体化け」といふものが公開されてゐる。以前朝日新聞において組まれてゐた連載(部屋のどこかに埋まつてゐるので題名も忘れてかけなければ引くこともできない)での笹原さんの指摘、「社會が使ひこなせなくなつた文字はだめである」といふ(ここに私は杉本つとむの言説をおもひだしてしまふのだが)のに覺える違和感をまたここでも感じて、結局この問題を考へてここ以外に行き場を見いだせない、鈔と抄を同字と扱はなくなるのはともかく別の表現型としかいひやうのない葛だとか辻の差を異なる字として「使ひこなせる社會」なんてあるのか、いやないとしか續かないこの問ひは、このやうな「つかひわけ」をロゴのやうなもの――しかしロゴのやうに視覺的同一性は求められることのない――として文字の領域から「追ひだせ」といふのか。

川上弘美のエッセイに「見ぬもの清し」(『あるようなないような』所收)といふのがある。これは箸から落とした食べ物を拾つて「見ぬもの清し」といつて食べた川上の母とのことを書いたものだが、職業病のやうなところのある私がかういふことを述べて説得力があるかはともかく、「正式なもの」に備はつてゐるであらうと信じられてゐる點畫の有無を捨て去ることからしかはじまらないのではなからうか。……讀み返すのがいやなほど支離滅裂なのだが、時間が時間なので投げてしまふ。

23:55

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2007年4月24日(火)

Essay for the homework of English class, its deadline is next morning

"Question: Why does American English show archaic features as well as the features foreign to British English ?"

We can say simply to the question, 'Because American English is not "standard"'. The fact that American English (AmE) has archaic features of Britain English (BrE) shows two Englishs were divided when both language had same features. Later one English changed its feature like [i:] to [ai], the other did not. There is some example that AmE maintains archaic states, like English that is educated in Japanese school maintains archaic AmE. A season comes after Summer is called 'Autumn' in BrE, 'Fall' in AmE. A past participle form of get is 'got' in BrE and 'gotten' in AmE. Both examples are archaic for BrE. BrE stops their usage, AmE does not. It's why AmE sometimes has something archaic in BrE.

提出したら赤だらけになることを期待して書きつぱなしにする。

23:55

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2007年4月25日(水)

實感のない

たとへば深いやすらぎのときの寢床のやうに
たとへば深い思念のなかにあつて目の前をおどるもののやうに
たとへば溺れるものにとつての脇を泳ぐ小魚のやうに
たとへばよく合つた靴が青空へあゆむのをさまたげないやうに

23:55

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2007年4月26日(木)

Spa LaQua

さうだ、温泉へいかうとSpa LaQuaへいく。入浴に必要なものがすべてレンタルであるし東京に出るので選んだ。温泉としてはをもしろ味に缺けるが、リフレッシュするのには十分である。安くはないので(最低2700圓強)さう多くも行けないのが難點。

NDLで先日後日複寫にまはしたE. Satowの論文の複寫を受けとる。
Satow, Ernest. On the Transliteration of the Japanese Syllabary. T.S.A.J. VII (1879): 226-60. Reprinted in Early Japanology: Aston, Satow, Chamberlain: Reprint from Transactions of the Asiatic Society of Japan. Vol. 1, Tokyo: Yushodo, 1977.
Satow, Ernest. The Jesuit Mission Press in Japan. T.S.A.J. XXVII, pt. 2 (1899): 1-12, 1-59. Reprinted in Early Japanology. Vol. 2.
『印刷雜誌』第1卷(1891)を借りたら本物がでてきて感動する。竹口芳五郎の插畫などに目をひかれる。
製文堂「古代活字を觀る記」『印刷雜誌』第1卷第8號、1891.9、p. 9-11。
をコピーするがこの文において朝鮮傳來といふことになつてゐる活字は駿河版であるとのこと。いはれてみれば插繪も駿河版そのものである。

廉價文庫は前より活字の種類に富むな、とおもつてゐたが最近さういふ目で選ぶやうになつたのでそのために買つたもの。ほとんど讀まうとして買つたものではない。
志賀直哉『小僧の神樣・萬暦赤繪』新潮社〈新潮文庫〉、1952.9。
トレルチ『ルネサンスと宗教改革』内田芳明譯、岩波書店〈岩波文庫〉、1959.8。
弘法大師『三教指歸』加藤精神譯註、岩波書店〈岩波文庫〉、1935.2。
中島敦『李陵・弟子・名人傳』角川書店〈角川文庫〉、1952.2。
マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』上下、梶山力・大塚久雄譯、岩波書店〈岩波文庫〉、1955.3-62.8。

23:55

  • ウチから歩いて5分なのにまだ行ったことがない。 (Michitomoさん) 07 4/29 17:54
  • さういふものです。 (kzhrさん) 07 4/30 14:56
  • にせんななひやくゑん! 關東の風呂は高いですねえ。關西の同じ規模の風呂だつたら一千圓代だと思ふ。 (nnhさん) 07 4/30 21:01
  • いや、こんなに高いのはここだけだと思ひますよ? (kzhrさん) 07 4/30 23:59
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2007年4月27日(金)

しごとびより

だつたのだ、とでも思はないとおさまりつかぬけふの一日。

川上弘美が芥川銓衡委員と聞いて、さうかあと落膽する。落膽とはいはずとも快くはない。なつてしまつたかといふ氣分。

23:55

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2007年4月28日(土)

InDesign CS2の脚註機能が囘り込みを無視するのは仕樣ですか?

けふは日佛會館での「文字を見る、繪を讀む――日本文學とその媒體」を聞きに行つた。惜しまれるのは起きるのが遲くて小泉吉永さんの發表にまにあはなかつたことである。あとで聞いてゐたかたに伺へば假名手本を囘覽してゐたとのこと。見たかつた…………。H先生は久しぶりの研究なのではないでせうか、とおもひました。少なくとも師事してより初。

iBookを持つていつたはいいけれど使ふこともなくて、歸りの車内でInDesignの脚註で遊んでゐたらば、囘り込みを無視するといふ現象に遭遇。どうしたらいいのかしら。縱書きでしか組まないので横書きではしらないけれども2行取りのしかたとか(行送りがすこし特殊)、バッドノウハウがたまるのは快からず。

23:55

a(半角)と入れてください。

2007年4月29日(日)

こまごまとした一日

雜事といふのはきりがないものだなとぞ云々。

冥土への10里塚間近だといふのにこんなのでいいのか、と思はないでもない。

22:36

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2007年4月30日(月)

ひさびさのやすみ

といふ感じがした。ひきこもるのが休みだ、といふのもなんだが。

23:55

a(半角)と入れてください。
 
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