Diary/ + PCC + — HIMAJIN NI AI WO. Love Idle

2007年10月24日(水)

どちりいなきりしたん翻刻草稿(4)

今囘は第三を收める。二の字點を漢字と假名で々とゝと使ひわけてゐるが、原文ではすべて同じ活字である。一部全角スペースを插入してゐる部分があるが、ジャスティフィケーションのために日本イエズス會版ではかやうなスペースがみられる。その特徴をみるためになるたけ入れた。二の字點をまれにつかはずに同字がつづく場合があるが、これは行がかはつたために使はなかつた部分と同種の活字を插入してゐるところとがある。後者はいまのところ一囘しか出てきてをらず、それは「大きにくるすををそれ奉也」(九オ)である。「を」には同形ながら囘轉してゐる活字があるが、それでもなくまつたく同種のものを使用してゐるやうに見うけられる。文節を跨ぐ二の字點は鎌倉以降あまりつかはれなくなるとされるが、ここではふつうに見られる。前囘山口に隨つてゐるとの由書いたが、白井純「キリシタン版前期國字版本の平假名活字について」石塚晴通教授退職記念會編『日本學・敦煌學・漢文訓讀の新展開』汲古書院、2005年5月、836-843を見ると、いくつか誤りがあるやうなので、斗を計に正す(ただし、白井が比を頃とするのはいただけない)。

○第三†はあてる なうすてるの事

らうまのさんたゑけれじやより教へ玉ふおらしよを教ゆべしつぎに又信じ」(十三オ)奉るべき條々と又つとむべき行儀をもたらすべき也是即はあてるなうすてるあべまりあ さるべれじな けれど十ヶ條。のまためんとすとさんたゑけれじやのまんだめんとすにこもる也此皆ゆるかせなくして一へんに神事つとめ奉るべき也
善惡のしやべつをわきまゆるほどのとしごろなるきりしたんは何事を知て肝要なるぞや
三樣の事也是はでうすへ物をよく頼み奉り又よく信じ奉り又よき所作をなす道を知る事也
でうすに物をよく頼み奉る道を何と」(十三ウ)しるべきや
はあてるのうすてるをもて知るべし
達して 信じ奉るべき 樣をば 何としるべきや
けれどかひいですのあるちいごかをしることなり
行儀をたゝしくつとむる樣をば何としるべきぞ
行儀をよくおさむる道と云はたもつ爲にはでうすの御おきてのまんだめんとゝさんたゑけれじやのまんだめんとをしり又しりぞくべき爲には七のもるたる科を知る事也
たゝしく信じよく頼み奉り又身持を」(十四オ)よくおさむる爲には此三樣の事より外に別の肝要なる儀有りや
中/\肝要なる儀あり是即そうべれなつらるのだうねすとてでうすよりぢきに與へ玉ふ三の善也たゝしく信ずる爲にはひいですよく頼み奉る爲にはゑすへらんさ身持をよくおさむる爲にはかりだあで是也さればよく頼み奉る爲にははあでるなうすてるのおらしよをしる事肝要なる儀なれば今教ゆべし天に御座ます我等が御おや御名をたふとまれたまへ御代來りたまへ天にをひて 御おんたあでの まゝなるごとく地にをひても あらせたまへ我等が日々の御」(十四ウ)やしなひを 今日與へたびたまへ我等よりおひたる人にゆるし申ごとく我等おひ奉る事をゆるしたまへ我等をてんたさんにはなし玉ふ事なかれ我等をけうあくよりのがしたまへあめん
今教へ玉ふ はあてる なうすてるのおらしよは誰人の作り玉ふぞや
かたしけなくも我等が御主ぜずきりしとのぢきに教へ玉ふおらしよ也
何の爲ぞや
おらしよを申べきやうを教へたまはん爲也
おらしよとは何事ぞ
おらしよは我等がねんを天につうじ御主」(十五オ)でうすに申上るのぞみをかなへ玉ふ道はし也
でうすはいづくに御座ますぞや
天地いづくにも御座ます也
はあてるなうすてるを申時いづれのことばにて我等がねんをでうすにつうじ奉るぞや
第一句目の天に御座ます我等が御をやと云ことば也
御主と申さずして御おやと申事は何事ぞや
御おやとよび奉るを以て我等を大切におぼしめす事をおもひ出だしたのもしき心を以てこひ奉る爲也」(十五ウ)
我が御おやとは申さずして何とて我等が御おやとはよび奉るぞ
皆人兄弟にてよき御をやの子なりとおもひとりてたがひに大切におもひあはん爲也
でうすは天に御座ますとは何事ぞや
我等が御をやも我等がたのしひもともに天にありとおもひ出すを以て此世界の事をおもひすつべき爲也
右にはでうすはいづくにも御座ますと教へ給ひて今又天に御座ますとは何事ぞや
でうすはいづくにも御座ますといへどもえらび出し玉ふ善人達にそんたいをぢ」(十六オ)きに見せ給はん爲に天上をさだめ玉ふによてなり
我等がねがひをば何たることばを以てでうすへ申上へきぞ
あひつゝくのこりのことばを以て也
あひのこることばを以ては何事を頼奉るぞ
七ヶ條の儀也
其は何/\ぞ
第一は御名を貴まれたまへと云儀也此心はでうの御名とくらうりあ世界にひろまり給ひ一さい人間の御主でうすと其御子御主ぜずきりしとを見知奉りうやまひ貴び奉る樣にと云心なり」(十六ウ)
第二ヶ條目には何事をこひ奉るぞ
御國來り給へと云心也此心は惡事とざいくわをのがれたゝでうすと御身の御子なるぜずきりしと現世にをひてはがらさ後生にをひてはくらうりあを以て我等を進退したまへと云儀也
第三のこひ奉る事とは何ぞや
天にをひて御おんたあでのまゝなるごとく地にをひてもあらせたまへとの儀也此心は天にをひて諸の†あんじよでうすに隨ひ御おんたあでをつとめらるゝごとく地にをひても一さい人間でうすに隨ひ貴き御おんたでのまゝに仕へ奉れかしと云儀也」(十七オ)
第四のヶ條には何事をこひ奉るべきや
日々の御やしなひを今日もあたへたび給へとの事也此心はあにまの爲に日々の御やしなひをあたへ給へとこひ奉る也是即貴き†ゑうかり すちあの さからめんとゝがらさ善すびりつあるどんゑすなどの事也又色身のそくさいと命をつくべき爲にいるほどの事をあたへたまへとこひ奉る儀也
第五のヶ條には何事をこひ奉るべきぞ
我等よりおひたる人にゆるし申ごとく我等おひ奉る事をゆるし給へと此心は我に對して人よりかけらるゝちじよく又はくはんたい以下をゆるすごと我く等がでう」(十七ウ)すに對し奉りておかすとがあやまりをゆるし給へと頼み奉る儀也
それならば†ぼろしもに對して持所のいこんをすてずんばわれらが科をゆるさるゝ事有まじきや
中/\其分なり御あるじぜずきりしと宣ふはわがぼろしもに罰してのいこんをすてずんば天に御座ますわが御をや其人の科をゆるし給ふ事有べからずと
然らば人よりかけらるゝちじよくをゆるさゝる者は此貴き御ことばを申時われにかけらるゝ ちじよくを ゆるさぬごとくわれらが 科をもゆるし玉ふべからずと申心なるによて此おらしよを申事叶」(十八オ)まじきや
其儀にあらずわが†ぼろしものちじよくをゆるさぬほとのけんどんなる人なりと云とも此おらしよを申事專要也其故は此おらしよを以て人に對しての いこんをすつる爲の御かうりよくなるがらさをこひ奉るによて也其上†さんたゑけれじやの御子と申奉る善人達人よりかけたるちじよくをゆるし玉ふことくわれらが科をゆるしたまへと申心なれば右のおらしよを申上る事もわが身のあたとなるにはあらず
第六ヶ條には何事をこひ奉るぞ
てんたさんにさしはなしたまはざれ」(十八ウ)と云事也 此心は此世界にをひててんたさんにせめらるゝともそれにまけぬやうにでうすのがらさを頼み奉る心也
第七ヶ條には何事をこひ奉るべきぞ
けうあくをのがし給へと 云事也此心はあにまのあたとなる科と色身のわざはひをのがし給へと云心也
はあてるなうすてるにまさりたるおらしよあるや
是にまさりたるおらしよは別になし是さいじやうのおらしよ也
其故いかん
でうすに こひ奉るべき ほどの肝要なるなる條々を此おらしよにこめ給ひて御主ぜずき」(十九オ)りしと御弟子達に教へ玉ふおらしよなればなり

17:10

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