つねにはものなどかきとめたることもなけれども、こころのはしにかかりたるわづかなふみをばかきおきぬ。
死んだ兵士の霊を慰めるためには、多分遺族の涙もウォー・レクイエムも十分ではない。
家畜のように死ぬ者のために、どんな弔いの鐘がある?
大砲の化物じみた怒りだけだ。
どもりのライフルの早口のお喋りだけが、
おお急ぎでお祈りを唱えてくれるだろう。
そして,あらためて抄物の定義からはじまり,抄物という資料がどこまで拡がりをもち,それらがどのような資料的性格を持つのか,といった作業の厖大な集積が,柳田征司氏によって『室町時代語資料としての抄物の研究』(武蔵野書院,1998年)という形で示された。ここにおいて,抄物研究の歩みにおける第三期(引用者註、1980年代から)は終わったと見てよいだろう。
すなわち,21世紀に入り,抄物研究は文字どおり新しい時代に入った。というよりは新しい時代に入るべきである,と言った方がよいかもしれない。……
……本書にはそのような内容(引用者註、資料論)は存在しないのであって,この点にまず,本書の「時代性」を見てとることができる。すなわち,その資料的価値は「周知の事実」として,いわば「安心して」言語研究そのものへと向かうことができるようになったといえよう。
23:55
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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