三上 (2002) において、徳川幕府の禁教後、迫害された宣教師たちは、この[1]印刷機を携えてルソン島へ逃れ、最終的にこの印刷機はマニラで2臺目の印刷機となったという。
と書かれ、Vincente Hernandez[2]の資料が引かれてゐる。しかし、どこにもそんなことはかいてゐないのであつた。けふNDLに請求してゐた原著複寫にはThe printing press of the Augustinians is the second printing press to operate in the islands. "The Augustinians imported a printing press from Japan [when the Spanish missionaries were expelled in 1614] that operated in . . . Mania (1621). It was later on sold to the Jesuits [1623]" (Retena 1908, 91; CL 52).
とあつて、これはこれで興味深いのであるが、ラウレス師の概説[3]をみるかぎり弱い説のひとつにとどまるやうであり、ここでは三上氏のキリシタン版についての記述はすこぶる怪しいと指摘するのにとどめる。
註
[1] 「同時代の日本からも、巡察使ヴァリニャーノの手配によって、いわゆる少年使節團が訪歐して活字印刷機と歐文活字セットを持ち歸った」(ibid.)といふのが「これ」である。しかし、通説では「これ」はマカオに行つた。ロドリゲスの国字本の活字がもちゐられてゐる日本小文典は1620年刊であるのであかされよう。
[2] 誤植であらう。引かれてゐるのは39ページ。
[3] ラウレス師の「キリシタン文庫」はウェブで日本語譯が附されて概説部分が公開されてゐる。Laures Rare Book Database參照。
參考文獻
三上喜貴 (2002) 『文字コードの歴史』アジア編、東京:共立出版。
Hernández, Vicente S. (1996): History of books and libraries in the Philippines, 1521-1900: a study of the sources and chronology of events pertaining to Philippine library history from the sixteenth to the end of the nineteenth. Manila: National Commission for Culture and the Arts.
17:50
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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