けふは研修をキャンセルされたので圖書館に行つてから師の御宅を訪ねやうかとおもつてゐたのだが、さう決めたのが遲すぎたので師を訪問するのは斷念した。といふわけで睡眠不足を解消するために午前中はずつと寐て、午後から學校の圖書館に出向いた。
富永牧太のビブリアなどにおける論攷が單著となつてゐる一方で、新井トシは翻譯を單著として發表したのみで、ほかのものは雜誌掲載だけである。雜誌は借り出すことができないので、ひとまづ必要なものをコピーした、それがさきほどの日記のコピー目録である。山口や大内田、森上の最近の論攷は、量も多くコピーを斷念した……掲載ページの採録を忘れてゐた (Oops)。一度は返却した富永の『きりしたん版文字攷』(富永牧太先生論文集刊行会、1978.4)と、新たに『キリシタン』(H・チーリスク監修、太田淑子編、東京堂出版〈日本史小百科〉、1999.9)を借りる。だが、大塚の解説にはあまり感心できないやうに思ふ。
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——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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