と、漸く小宮山博史による三谷幸吉の鯨尺説の批判が理解できたわたくしは不意にさう思つた。
ところで、同論文(小宮山博史「明朝体、日本への伝播と改刻」印刷紙研究会編『本と活字の歴史事典』柏書房、2000.6、pp. 233-384)に平野活版製造所の最初期の総合見本帳と考えられる明治十二年刊のBOOK OF SPECIMENS, Motogi & Hirano Type Foundry
とあるが、三谷幸吉の本木傳(三谷幸吉『本木昌造平野富二詳傳』本木昌造平野富二詳傳頒布刊行會、1933.4)には明治十三年頃の見本帳の口繪には、(中略)表紙には/MOTOGI&HIRANO(平野家所藏)
とあり、どちらかが先入觀を持つて書いてゐるのでなければ、本木はもとぎかもときかわからないといふよりも頓著されることがなかつた、とみるはうが妥當なのかもしれない。
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——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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