Diary/ + PCC + — HIMAJIN NI AI WO. Love Idle

2006年8月2日(水)

理解するとは讀み落しを減らしていくことではなからうか

と、漸く小宮山博史による三谷幸吉の鯨尺説の批判が理解できたわたくしは不意にさう思つた。

ところで、同論文(小宮山博史「明朝体、日本への伝播と改刻」印刷紙研究会編『本と活字の歴史事典』柏書房、2000.6、pp. 233-384)に平野活版製造所の最初期の総合見本帳と考えられる明治十二年刊のBOOK OF SPECIMENS, Motogi & Hirano Type Foundryとあるが、三谷幸吉の本木傳(三谷幸吉『本木昌造平野富二詳傳』本木昌造平野富二詳傳頒布刊行會、1933.4)には明治十三年頃の見本帳の口繪には、(中略)表紙には/MOTOGI&HIRANO(平野家所藏)とあり、どちらかが先入觀を持つて書いてゐるのでなければ、本木はもとぎかもときかわからないといふよりも頓著されることがなかつた、とみるはうが妥當なのかもしれない。

23:55

  • 印刷紙研究会は、印刷史研究会の誤り。 (kzhrさん) 06 8/4 13:58
  • どちらも「もとぎ」と記しているのが何かをかしいんでせうか。 (とほりすがりさん) 06 8/6 17:22
  • どちらももとぎでない、といふのが話の主題なのに誤記をしてしまひました。三谷のはうは「MOTOKI」とあります。 (kzhrさん) 06 8/6 19:32
  • どちらももとぎなのではない、といふはうが正確ですね。 (kzhrさん) 06 8/6 19:32
a(半角)と入れてください。
 
最近の日記
過去ログへの誘ひ:
2002
2003
2004
2005
2006
2007
2008
2009
2010
2011
2012
2015