Diary/ + PCC + — HIMAJIN NI AI WO. Love Idle

2006年3月4日(土)

解讀ついでに書下し

『異体字とは何か』の一度目の通讀を、「文教温故」の陰影を殘してやりおへたので、漢文と和文の混ぢるこの本を、解讀序でにテキストの一次元にしてしまはうといふ試み。表記は嚴密を缺いたチャランポン主義による。チャランポランどころか加筆がされてゐるやもしれぬ。TeX風に書いてみた。

\title{文教温故卷之下}
\author{江戸 山崎美成著}
\chapter{文字}

古語拾遺の序に曰く蓋し聞く上古の世未だ文字有らず貴賤老少口々相ひ傳へて前言往行存しめ而して忘れずといへり吾が邦に文字あることは三韓入朝し百濟内屬せし時よりはやく漢字をば傳へしなるべし已に大江匡房卿の筥崎宮の記に曰く其の本體を尋は應神天皇の神靈なり我が朝文字を書結繩の政に代ること即ち此の朝に創る\bunchu{往々この文を引用せり按ずるに朝野群載文筆之部此の記を載といへども引ところの文見えず蓋し全文にあらざるに似たり}益軒云我が國上世文字無し古語拾遺及び匡房の筥崎廟の記を讀て知るべきのみ此の二書古代の作佐證と爲すべし或、以て上世國字有と爲は妄説なり是無稽の言信ずべからず\bunchu{自娯集}

日本書紀に曰く天武天皇白鳳十一年三月丙午境部連石積等に命じて更に肇て新字一部四十四卷を造俾とあれど此の時の新字といふもの今傳はらずいかなるものにか考ふべきよしなし或は云ふ卷佚甚だ多し恐くは訓譯の書\bunchu{蓋簪録}としたれども釋日本紀に曰く新字の部私記に曰く師説に此書今圖書寮に在り但だ其の字體頗る梵字に似たり未だ其の字義の準據する所を詳らかにせずとあるをもて訓譯の書ならぬことは分明なり\bunchu{本朝書籍目録に新字丗四卷と載たり然れども此の目録は永享年間本朝の書目を撰むべきよし將軍家の命をうけて外史中原氏の記して奉ることのなりされば其の世に傳はらざるものをも見聞に任せて記したることの少からず此の目録に載るをもて當將現存せしものとは必おもふべからず又この書目を世に仁和寺書目と云ふは仁和寺宮の御文庫の本をもて寫し傳へしにありてなり已に本書の奧書に仁和寺宮の本を以て之を書す普光院殿被尋の時の注文云云と見えたり}又俗聞に用ふるところの颪(おろし)。扨(さて)。込(こみ)。[身花](しつけ)。等の字書に載らざるをものをもて新字の殘れるなど\bunchu{日本國風}いへども私記の説に梵字に似たりといふによれば決して石積が新字にあらざること知るべし

和字ことに會意の文字多し神木を榊とし香木を[木(禾/日)](かつら)に作る\bunchu{竝に新撰字鏡に見えたり}あるひは襷(たすき)の字は和名類聚鈔\bunchu{裝束の部衣脈具}に載せて衣袖を擧るの義に取る[金曲]の字は室町殿日記\bunchu{江口の要害夜討の條}に見ゆおもふに鐵を鉤曲して造る意にや又二合に字あり[日古](ひふ)\bunchu{出雲風土記大原郡斐伊郷條に見}日古の二合麿\bunchu{多度寺資材帳貞觀十三年小水麿大般若經跋等見}麻呂の二合これらは二合の假名にてもとより字義にあづからざるものなりまた白田を畠(はたけ)に作り\bunchu{太神宮儀式帳。延喜神名式等見伊呂波字類抄に曰く畠はたけ白田の二字なり一字に作は誤}日下を[日/下](くさか)に作れる\bunchu{日本靈異記見}これらは二合の熟字ともいふべしまた字書に文字はありながら其の字詁を異(こと)にするものは俵は俵散の義なるを米苞のことに用ひてたわらと訓(よみ)\bunchu{類聚國史延暦十七年十月敕。日本靈異記見}栲は山樗なりしかるを布帛の稱としてたくと訓(よめ)り\bunchu{日本書紀の仲哀紀。豐後風土記に見}これら等の文字古昔より用ひ來れること已に久し世儒[既/木]して乖誤とするものは殊に通論にあらず

鵆\bunchu[nodivide]{ちどり}雫\bunchu[nodivide]{しづく}[木色]\bunchu[nodivide]{もみぢ}杜\bunchu[nodivide]{もり}俤\bunchu[nodivide]{おもかげ}この類は連歌の懷紙の爲めに造れる文字なるよしこれを新在家文字といふとかや又[木八]\bunchu[nodivide]{はめ}[土八]\bunchu[nodivide]{かます}[門<山]\bunchu[nodivide]{つかえ}[金系]\bunchu[nodivide]{かすがひ}等の字ありこれは作事修理方にて用ふる文字なるよし\bunchu{觀鵞百譚}また明暦三年鈔本の刀劍鑑定の書に用ふるところの造り字ありおもふに其の書を伺ふもののありとも容易(たやす)く知らざらしめんが爲なるか其の字に[カ田/ナ]\bunchu[nodivide]{かたな}[サ/氣]\bunchu[nodivide]{さき}[火重]\bunchu[nodivide]{やきは}[戸'圭]\bunchu[nodivide]{のたれ}[宀/土]\bunchu[nodivide]{みち}[矢木]\bunchu[nodivide]{やき}[金百]\bunchu[nodivide]{なかご}[者方]\bunchu[nodivide]{はかた}等なりおもふに[カ田/ナ]はカ田(た)ナ[サ/氣]はサ氣(き)の合字なり造意最も拙しといふべしかゝる文字に至りては知るとも益なく知らずとも損なきに似たりといへど亦た博物の一端ならざらんや

熟字の偏旁を省けること互益増損これを用ひて害なしといへり吾が邦古しへより亦この例あり古事記根(ね)の堅洲(かたす)の國の條に亦(また)來る日の夜は呉公(むかで)と蜂との室(むろや)に入れ玉ふとある呉公は蜈蚣の省なりまた家長日記御行御遊條に康業が奉行にて此の御比巴どもひろ御所にてすらせられきとある比巴は琵琶の省なり書名にも夫木和歌抄は扶桑の省文なり人車記は兵部卿信範卿の日記なれば信範の左旁をとれるなりかつて字鏡集の古鈔本を見たりしにその奧書に酉酉玉[忤-午]完とありこれは醍醐理性院の省文なり省字多くは兩字連續に過ずしかるにかく數字に至ることのたえて見ざるところなり

佛家に古來より用ふるところの省字あり抄書に便ずるなり[艸/至]\bunchu[nodivine]{華臺}[丁弗]\bunchu[nodivine]{佛頂}[木泉]\bunchu[nodivine]{林泉}価\bunchu[nodivine]{西佛}[金(刊-干)]\bunchu[nodivine]{金剛}[腹-月]\bunchu{安居取義}此等の字天台家阿彌陀坊抄等に見たり皆私の作字なり佛者の書此の類多しこれを抄物書(がき)といひ傳宗の時き文字を省き筆を勞せず又[サ/ザ#下要素の點は一つで、横劃の下にある]\bunchu{サヽテン菩提}[サ/サ]\bunchu{ササ菩薩}[(シテ#為の省文)/(シテ#為の省文)]\bunchu{シテ/\聲聞}ヨヨ\bunchu{ヨヽ縁覺}七火\bunchu{シチクワ涅槃}四四\bunchu{シシ煩惱」}\bunchu{鹽尻○按ずるに[サ/サ]は菩薩の二字を省合せしなり弘法大師の心經既にこの字體あり龍龕手鑑に曰く[サ/サ]は菩薩の二音又[サ/ザ#下要素の點は一つで、横劃の下にある]は音菩提二字と見えたりさればこの二字は我が邦の略字にあらず又涅槃を七火とするは炎字を謬れるなるべし日本靈異記に涅槃經を炎經とかきたり}これらみな僧徒の書寫に便ならん爲に作れるものなり天文年間鈔本の沙石集に懺悔を[忤-午][忤-午]地獄を土犬髑髏を骨骨と華嚴を[大/ヒ]ムに作れり此の類すべて書寫繁劇なるとき勉て簡便に從ふのみ

省文は細書の用なり細字を寫す者此を能すれば以て功を省くべし如し未だ此の法を知らざる則ち以て細字を讀むべからず此亦幼學のまさに知らんとする所なり\bunchu{和楷正訛}また讀書は抄書(ぬきがき)を簡要とす省字に書くときは課程眞字の半を減ずべし\bunchu{初學問答}あるひは乖誤俗字として用ひざるに至るものあり字體の正訛はもとより論ずる所にあらずしかはあれど廟を[广'由]に作る俗字にあらず\bunchu{示兒篇に曰く顧の[(戸'レ)頁]覇の[西/羊月]喬の[右/(回-一)#ただし一番下の劃を取る]獻と献國の国廟の[广'由]如き云云凡此れ皆俗書なり文[弓召]案に[广'由]儀禮に見訛字に非ず}佛を仏に作るは古字なり\bunchu{通雅曰く仏は古の佛字宋の張子賢が言ふ京口甘露寺の二鐵[金(護-言)]有文梁の天監造仏殿前}また盡を尽。藥を(薬の略字一字)。圖を[囗<(夂/ツ)]。實を実。に作るが如きみなこれ草體の變じて楷書となるものなれば省文にはあらず又田地一反の反の字は段の草書(段の草書一字)の字に似たれば誤れるなり\bunchu{秉燭譚に見}年齡を記すに何才とかける才は歳の省文を戈に作れるが才字に似たるをもて誤りしなり\bunchu{歳を戈に作るもの僧日蓮が眞蹟の題目に建治二年太戈丙子とあり及び其高足のわける題目にも往々これあり又文和二年太戈癸巳と銘ある琵琶の搨本を藏[去/((奔-十)-大)]せり併せて證とするに足れり}これら音も近く字形も似たればなり猶この類少からず餘は準知すべし

文字の偏旁に俗稱あり[烈-列]をレングワ。禾をノギ。[刊-干]をリタウ。酉をヒヨミノトリ。などいへるが如しさて[烈-列]をレングワといへるは字書に烈火\bunchu{字彙}とあれば連火にあらで烈火の音の轉訛なるべし禾をノギといふは禾の訓なり[艸/亡]をノギ穎をノゲとよめるも同義なり稻は[艸/亡]有の穀の總名なり\bunchu{急就篇}といへるを併せおもふべし[刊-干]は立(りつ)刀なり[忤-午]を立心といひイを立人といふに同じこれは吾が邦の稱にあらず晉の王羲之が立人の法は鳥の桂首に在るが如しイ彳の類是れなり\bunchu{筆勢論}といへり或は利刀\bunchu{書言字考}などいふは正義にあらず酉をヒヨミノトリといへるはヒヨミは暦日のことなり\bunchu{東雅に曰くヒヨミとは日讀なり古語に凡物をかぞふるを讀といひけり暦本をコヨミなどいふもこの義なり}その暦日に用ふる酉といへる意にて鳥字と同訓なれば混ぜざらしめんが爲なり旅人問答曰くサン水ニヒヨミノトリヲ書(カ)キ字訓シテ酒ト付タリと見えたればふるき稱なりさて酉字のみならずむかしは十二支の文字はすべてヒヨミをもてよべるにや寅(ひよみとら)は清嚴茶屋に曰く虎に寄る戀にては時のとらをばよまぬことなり時の寅も虎のことなれど日(ひ)よみの寅は字かはりたり午(ひよみのうま)は和歌童蒙抄に曰く孔子ノ道ヲオハシケルニ馬ノ垣ヨリ頭ヲサシ出タリケルヲ牛ヨトノタマヒケレバ弟子ドモアヤシト思ヒ顏囘ゾ十六町ヲ行テ心エタリケルヒヨミノ午ト云フ文字ノ頭ヲ出シタルハ牛ト云フナリ申(ひよみのさる)は袖中抄に曰く萬葉集に申の字を書てましと詞につかへり申といふ詞をましてなどもよめば其の詞を略していふなるべし而此の申字をばひよみのさるとよめばさるはましと云こととこころえられたり戌(ひよみのいぬ)は鹽嚢抄に曰く戊ハ亡寇ノ友呉音ハ\bosen{ム}讀(ヨミ)ハ\bosen{ツチノエ}也是ノ中ニ一點ヲ加ヘレバ戌思律ノ友常ニハシユツト云日(ヒ)ヨミノイヌ也と見えたりこれにて餘は推して知るべし唐土にも偏旁の稱あり草(サウ)高(カウ)木(ヒラ)脚(ギ)\bunchu{碧雲[馬(暇-日)]}立人(にんべん)挑土(どへん)\bunchu{續書譜}などの類猶少からず

假名は\bosen{カリナ}といへることにて唐土の字音をかりて我が邦の言語をうつすなりその字義にかかはらで櫻を佐久羅雪を由伎と書たぐひなり名は字といふことなり字を古しへ名といへり\bunchu{周禮に曰く外史書名を四方に達するを掌る註に曰く古に名と曰は今字と曰}さていにしへの假名はすべて右の佐久羅由伎などの如く書けるを萬葉集の頃ろには音訓をまじへ用ふたとへば鬱(うつ)蝉(せみ)あるは布本(ふもと)\bunchu{麓}とかける類これを世に萬葉假名といへり眞假名にむかへて省きて書けるを片假名といひ草體にかけるをひらがなといへり片假名の名はふるく\miseketi{うつほ}物語\bunchu{藏開卷}狹衣にも見えたり平假名は平易の意\bunchu{本朝學源}ならんなどいへども古き稱にあらざるにや片假名また大和假名ともいへり倭庁假字反切義解の序に曰く天平勝寶年中に到て右丞相吉備眞備公我が邦に通用する所の假字四十五字を取り偏旁點畫を省きて片假字を作るといへりこれ古來よりいひ傳ふるところなりといへども無稽の妄説にして信ずべからずまた常の伊呂波假名とともに弘法大師の造りた(?)へるか\bunchu{和字正濫抄}ともいへどこれも又た信じがたしおもふに其の始めは詳ならねどもと伊呂波假名にならひて四十餘字を一樣に作り出たるものとはおもはれずそのよし古體の片假名の古書の訓點及び點圖に殘れるによると記はその始めは字訓を傍記せんに眞名をもて書んは點畫多く煩はしきがまま省きてかける是れ片假名の起源なるべし今ま流布の日本書紀に税(大力)調(三月)\bunchu{仁徳記七年九月}とあるは、オホヂカラ、ミツキの借訓なり、また\sayukana{吾兄}{和加世}{ワガイロエ} \bunchu{履中紀六年二月}と左り假名を付たるはワガセの眞假名なりこれらの類猶ほ多し今その一二を擧て證とすむかしは字畫の少きは省かで其まゝも用ひたりと見えて今昔物語に乃の字天の字などは眞名をまじへ書きたりよつておもふ古點に片假名の異體多かるは亦た宣ならずや

片假名何の時より今の字に定まりしにか字體まぎらはしからず古體は(中略)の類昔人用る所ろ往々かくの如し然るに示(レ)示(ネ)同字を用ひ又禾の字の形も似たりア(ミ)アに混じレ(ム)レ(ヒ)レに混ずよつて云ふ古昔書籍の訓點の如き諸家の訓圖にまじふるに此の如く假名を用ひて各々自ら讀法あり故に讀み易き書も輒くよみ難し\bunchu{好古日録}いはば日本靈異記の訓釋に用ふる所ろ皮(は)は波字の省部(へ)は倍字の省大須本の將門記の訓點に于(う)\bunchu[nodivide]{[(河-可)于]}し(シ)\bunchu[nodivide]{之草體}寸(キ)\bunchu[nodivide]{樹}[石-口]\bunchu[nodivide]{万}などの類なり又二合のものあり[ノモ](トモ)[ヨリ](ヨリ)の如きは今已に用ふれどもトキの假名に昔は[ト/丶]とかけるありこれは古體の丶(キ)へトを合せたるなり今寸(とき)とかけるは時字の省文なるべし

伊呂波假名は弘法大師の作なり江談に曰く天仁三年八月日向に小一條亭言談の次を問て曰く假名手本は何の時に始て起るや又た何人の作所哉答て云ふ弘法大師御作といへり件の事所見無し但だ大后自筆の假名法華經供養之時御八講を行る之講師南北英才相ひ遞に導師の爲に高名清範慶祚等之輩各おの富樓那之辨才を振之後源信僧都又た此の事を説き云ふ日本國は誠に如來の金言と雖唯だ假名を以て書き奉る可也弘法大師の云諸眞言梵字など密法を傳習するを之後四教の法門に寄てイロハニホヘトの讚を作り給ふ以來一切法門聖教史書經傳此の讚の文字を離れずイロハの字は色は匂ふと云ふ心なり他事を説かず只だ必ず此の事講しめば人々皆耳目驚すの由傳聞する所なり古人日記の中此の事在は又之を問然は件の弘法大師の御時以往假名無歟日本紀の中假名日本紀之在由し慮外(後略)

(後略)

\end{document}

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