いまの私の目からすると、バスカヴィルが偉大であつたのは、がたがたの字の竝びとあまり綺麗でない紙、みつちりと竝べられた活字のインクの乘りの惡いのを一遍に改めてしまつた點である。活字は……彼自身が組めばいい仕上がりにならうが、私はさう好きではない、と感じる。の16cのパリに入つてゐるオールド・ローマンは、ギャラモンの手が加はつてゐるかはわからないが、(がたがたもしてゐないし)大變美しい[1]。ただ、一般的な水準はこんなだつたらう[2], [3]。一方、バスカヴィルの本文書体[3]はぐつと文字が大きくなり、たしかに讀みやすくなつてゐるし、これはTrasitionalであるな、と思ふが、Old Romanの少し締まつたのには劣るやうに思はれる。
22:44
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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