2005年12月25日(日)
バスカヴィルの事蹟を調べてゐて思つたのだけれども、書體に名前がつくやうになつたのはどれごろからなのだらう。つまり、青山進行堂が南海堂行書などと銘打つて賣り出すやうなことを、世界的に、といふことは歐洲になるのだらうが、初めてやつたのは誰なのだらうか。バスカヴィルにしろ――彼がフルニエやディドー、フランクリンなどと同時代の人間だと初めて知つたのだが――、それより前のギャラモンにしろ、そんなことはしなかつた筈である。築地や秀英もさうであつた。やはり、ベントンやそれに類する機械の導入が契機なのだらうか。少なくとも活字の末期には始まつてゐたのに違ひない。Universだとか、 Helveticaは活字起源なのであるからして。
22:08
CaslonとかBellとかFryとかBodoniとかFournierが見本帳を作り出すのは18世紀中葉から後半ですね。ボドニ以外は同業者や既存の特権的な業者との競争から必要となったわけでしょうし、印刷と活字製造が近代的な産業に脱皮する時期とでも言えましょうか。 (les jeune さん) 05 12/26 13:22
その過程でどこどこのローマン書體、イタリック書體からどこどこの「○○」だとか「××」だとかに變つたのでせうか。まだCaslonの段階では前者ですよね。後者に移行するのに見本帖の存在が前提である、といふのは氣づきませんでした。御教へくださりありがたうございます。 (kzhr さん) 05 12/26 14:41
勅許をもつ特権的な業者の家系とかギルドが出版・印刷・活字製造、あるいはそのどれかの過程を牛耳っていて寡占的である段階では、業者間の競争が希薄なので、そもそも商品としての活字書体が自由に流通しなかったように思えます。そこには、分業の進展と商品生産社会が必要であったように思います。そうなってはじめて、どこどこの「なになに」書体を他のメーカーの「あれそれ」書体と比較して選択購買するということが広く行われるようになります。そうすれば、商売ですから、見本帳を作って張り合ってやろう、ということにもなりますね。これが、近代の形成なのでしょうか。 (les jeune さん) 05 12/27 9:36
重ねての叮嚀な御教示に痛み入ります。Garamond も王の印刷者でしたね。Bodoni もパルマ公ですし。市井への移行、といふごくごく一般的な近代化の過程を印刷も歩んできたのでせうね。 (kzhr さん) 05 12/27 18:06
蛇足で失礼しますが、そこに活字製造と印刷の機械化、鉄道や蒸気船などの交通機関の発達が重なってくるのでしょう、特に19世紀以後は。 (les jeune さん) 05 12/27 18:50
それは、築地と寫研の違ひのやうなものなのでせうかね。とまれ、いろいろとありがたうございます。 (kzhr さん) 05 12/27 21:18
活字が欧羅巴近代を先導したプロセスについて有名なものではベネディクト・アンダーソン『増補想像の共同体』(NTT出版)という名著があります。2300円+税。 (ふかは さん) 05 12/31 14:33
ありがたうございます。『想像の共同体』とやら、名前を見た記憶はありますが、はて。 (kzhr さん) 05 12/31 18:24
マクルーハンとオングをわすれとった。 (fuka さん) 06 1/13 14:58
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——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め (中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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