なんとか正剛(う)の千册一夜、だかいふので、杉浦康平の著書を取り上げたときに、杉浦が亂視で月が九つにも分かれて見えるとあつた。
ほんたうかなあ、精々四つくらゐでないかなあと思つて、夜の歸り道に眼鏡をはずして月を見ると、なるほど別れて見えるのだ。近視でもあるので、いままで氣づかなかつたのだが、かういふこともあるのだなあ。ただ、その正剛さん(松岡?)のは「健常者は疵を羨むものだ」といふのに還元できなくなささうでもない。
ところで、光源をみてゐるとフレアを發してゐるやうに見えるだとか、そのフレアが下に向つて伸びる、だとかいふのは、〈普通〉ではないのだらうか。寢る前に布團に横になつて螢光燈を眺めながら遊んでゐた記憶があるのだけれど。
22:46
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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