福永武彦は1943年だかにマチネ・ポエティクの同人山下澄(筆名原條あき子)と結婚し、1945年に夏樹が生れ、1950年に離婚してゐる。けふ、いくつかの全集などをあたつて、結婚のことを調べようとしたが、結婚のことさへ書いてゐないものもあつた。
要するに、これは、原條あき子がうんぬん、ではなく、マチネ・ポエティクが〈フォニー〉で、福永はこれを超越することで〈フォニー〉ではなくなつたのだ、といふのが福永研究の趨勢なのか。石川淳が云つたらしいところには、といふのも金井美惠子の本で讀んだだけなのだが、マチネ・ポエティクのあとでも〈フォニー〉であつたやうではあるが。
で、私は池澤夏樹の愛好家なのであつて彼の父君にはたいして興味がなくて、あるのは山下澄への興味である。『新研究資料 現代日本文學』の詩の卷にマチネ・ポエティクは記載が無く、福永、加藤、あと一人くらゐの、マチネ・ポエティク出身でのちまで活きてゐた作家(まだ死んでゐないのもゐるが)の項目にも、ない。まるでをさなかりしころの火遊びかなんかであつたかのやうだ。
さて、古本屋で池澤夏樹譯のダレルの著作をみつけて、後書きを讀むと、『豚兒二人』云々とあり、譯の時期からしてこのうち一人は春菜であり、それにもう一人がゐるはずである。くはへて、メイルマガジン「異國の客」では、フランスで小學校に通ふ2兒があると書かれてゐる。春菜は1975生れであるから、假に日本の小6に相當するとしても、18の年の隔たりがある。どういふ家族構成なのか、全く想像できない。プライベートを書かないのであれば、徹底して書かないはうが(春菜はしかたないが)ありがたい。
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——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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