なんと、今日が9/1。9/2だと思つてた。
伊藤幸作『<デザイン技法シリーズ5>タイポグラフィ』(ダヴィッド、1971)を藉りる。色々な活字業者、岩橋や光文堂などは見たことがないので參考になる(いや、藉りたのは二度目なのですが)。「本作りの経済性の故に人間工学上の視覚的な配慮は行われず、ベタ組と称するこのような(改行のない――引用者註)組版が慣習化されている。(p.136)」とかいふのはどうかと思ふ。(恐らく)對處として著者が掲げるのは、ラグ組といふより寧ろ我々が「詩」と認識する「散文よりも短い行の長さ、意味による改行といった版面にあらわれた「すがたかたち」(鈴木広光「空白の中の残影――明治文芸の版面(1)」『d/SIGN』8號、太田出版、2004)」に相當するもので、アイデア312號のタイポグラフィ教習とかいふ連載のラグ組にさへ違和感を覺える私にしてみれば、讀みにくい讀みにくいと「人間工學」樣が文章を分斷し、もはや異物と化したものを讀まされるに等しく、反吐が出る。そんな理由で改行を少なくした人なんて聞いたことがない。支離滅裂な言ひがかりだ。
歴史的な事項についても、グーテンベルグの42行聖書に「人間性の復活を希求する時代の動き」などと記すに代表される「?」はつきまとふが、タイポグラフィの語義を正しく認識してゐるだけでも參考になるといへる。でも日本語の文字を「矛盾に満ちた国字 (p.24)」などといふのは、勘辯願ひたいところだが。p.39に掲載された“レタリングによる”秀英舍初號と現代の活字(不明)の三十倍の「湖」もどうかと思ふが。
21:06
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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