正岡子規が古今集以後を思ひつきり惡口を言つて、萬葉集を高くしたのは、革命に必然であつたといふほかあるまいと思ふ新京成線の中(この不勉強IMEは、新京成を一發で變換できない不敬者、さういへばWinFSは外してもJIS X 0213對應宣言は取りやめないらしい某ビルの間の眺めは、結局Opentype featureはどれほどになるのだらう、尤も、OOoだのWordだのといつた低級ソフトウェアには實裝されないだらうし、貧しい私としてはそれは大變哀しいことなのだけれど)、公共の場のスピーチで多少聽衆をけしかけても、まあ惡いことはなからうと思ふ。
貧困といふのは、いつまで經つても難しい問題であらう。食糧支援は、自國生産を徐々に輸入に切り替へた日本のやうなのと對照すると問題がはつきりするし、貧困はむしろ生産されるものであるから、以下略。
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——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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