買ひ物の歸りがけに、公民館の前を通り、地名の由來を記した石碑を眺めた。
今住んでゐる新京成線沿線の大部分は江戸時代、小金牧といふ、幕府の牧場であつた。明治になつて牧はほとんど陸軍が持つていつて、演習場となつた。だから、歴史は精々百年とか、そこらだ(古くても江戸中期を越すことはない)。
小中の學校を過ごしたのは習志野であつた。そこの、菊田神社は藤原の人が流されてきて、もともとあつた神社に自分たちの神樣を合祀させてしまつたといふ神社であるが、そこは九百年とか、さういふ歴史の蓄積があるのだ。しかし、その歴史の蓄積が町を歩いてゐて感じられることはない。小學校も習志野で一番古い學校だが、今の校舍は昭和三十三年に移したとかで、明治の赴きもへつたくれもない。
そのやうにして、歴史がただ流れていくのみで澑まつていかない(もし殘つても、それは他のところで作られた歴史に僅かに顏を覗かせるのみだ)ので、歴史はあつてないやうなものである。見えないだけで實はしつかりあるのかもしれない。だから、一人嘆いてゐるのは馬鹿らしいのかもしれないとも思つて、それだけ。
19:49
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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