或ものについて熱烈に「語る」といふのが、どうにも好けない。それは一つにあるものに沒頭してゐるといふのが「耻づかしい」ことだからであり、「語る」ことで發生する『虚僞』を限りなく厭ふためである。「思ひ」を語りたくなどはない、あんまり聞きたくもない。潔癖はいくら徹底しようとも引いた分だけ迫られる、そのくらゐの徹底しかしようがないし、それは必然的に身の破滅を引き起こすのもとつくに承知してはゐるのだが。
22:16
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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