Diary/ + PCC + — HIMAJIN NI AI WO. Love Idle

2008年1月6日(日)

どちりいなきりしたん翻刻草稿(9)

今囘は第九ををさめる。前述のごとく、第八は缺番である。このあたりローマ字本ではどうなつてゐるのかは未檢證である。

○第九御母さんたゑけれじや」(四十八オ)御おきての事

でうすの 御おきてのまだめんとをばはやあらはし給ひぬ 今又さんた ゑけれじやのまだめんとゝはいかん
ゑけれじやのまだめんとはおほき也 其内にまだめんとによてそうのゑけれじやに あたる事もあり 是即こむしりよか又は世界にをひて御主ぜず きりしとの御名代にて御座ますはつはの御さだめのまだめんと也 是一さいのきりしたんたもたずして 叶はぬ まだめんと也 又其所に隨て さだまりたる まだめんともあり是は其所の びすほより さだめ玉ふ也」(四十八ウ)是其所の きりしたん たもたずしてかなお〔ママ〕ぬ まだめんと也そうのゑけれじやにあたる あまたの まだめんとの 中にとりはき五ヶ條あげらるゝ也
第一 どみんごべあと日に みいさを おがみ奉るべし
第二 せめて年中に一度こんひさんを申べし
第三 はすくはに えうかり すちあの さからめんとを さづかり奉るべし
第四 さんたゑけれじやよりさづけ玉ふ時ぜじゆんを致しせずたさばどにゝくじきすべからず
第五 †ぢずもすひりみしあすをさゝく」(四十九オ)べし
第一の まだめんとをば 何と分別すべきぞ
わづらひか又はみいさを おがみ奉る事叶はぬほどのしさいなき時は さんたゑけれじやより いはひ玉ふ日に一心ふらんにみいさを初より をはりまで おがみ奉る べしとの御さだめ也
さんた ゑけれじやより いはひ玉ふ日は何れぞや
年中のどみんごと 其外所のびすほりよふれさせらるゝいはひの日の事也かるがゆえに日本國にても きりしたんのつかさよりふれ玉ふいはひの日をまもるべし」(四十九ウ)
みいさとは何事ぞ
御主せずきりしとの御色身と御ちとともに†さきりひいしよしてでうすはあてれに生きたる人死したる人の爲にさゝけ奉らるゝさきりひいしよ也是即御主ぜずきりしとの御一生がひの 御所作と御はしよむをおもひ出させ給はん 爲にさだめをき玉ふ者也それによてきりしたんはみいさをおがみ奉る時御主の御はしよんをくはんねんしつしんでおがみ奉るべし此等の儀は左にえうかりすちやのさからめんとに付てさたせん時あらはすべし
一心ふらんにみいさをおがみ奉る爲には何の」(五十オ)事かたよりとなるべきや
其たより おほき中に みいさの内に 物いはず又心を さんらんさするほどの事をやむる事也
はあてれ さんちしも さからめんとを人々におがませ玉ふ時のおらしよ有や
中々あり 御主ぜずきりしと さんたくるすの上にをひて 世界を扶玉ふによて くぎやうらいはいし奉る我等が科を赦給へ頼み奉ると申おらしよ是也
かりすをおがませ玉ふ時は何れのおらしよを申されけるぞ
一さいの人をたすけ給はん爲にくるすの上にてながし給ふ 御主ぜずきりしとの貴」(五十ウ)き御ちをおがみ奉る申おらしよ是也
此みいさの貴き さきりひいしよは いかなる心あてを以てさゝげ奉るゝや
其心あては三あり一には御恩の 御れいとしてさゝげ奉る也 二には我等が科のつくのひとしてさゝげ奉る也 三にはなをいやましに御恩をうけ奉らん爲に さゝげ申者也
みいさの さきりひいしよはいかなる人の徳となり玉ふぞ
世界にいきながらゆる人の爲計に あらず ふるか たうりよに ゐらるゝ あにまの爲にも大なるたよりとなる者也 それによて生死の人の爲にみいさをおがみおこな」(五十一オ)はせ奉る事は大きなる功力となる也
第二のまだめんとはなにとわきまゆべきぞ
善惡を わきまゆるほどの ねんれいならきりしたんは いづれもゑけれじやの御さだめのごとくこむひさんをきゝ玉ふべきはあてれ ありあひ 給はん時 せめて一年に一度くはれいずまにこんひさんを申べしもし はあてれ ありあひ給はぬか又はきかるゝ事叶はずしてこんひさんを申さずは此まだめんとをそむくにあらず
何とてせめて一年に一度とは宣ぞ
さんたゑけれじやよりは度々科におつるごとくこんひさんをも度々申せとのぞ」(五十一ウ)みたまへどもせめて一年に一度二度とさだめ玉ふ者也其故は身のしげくけかるゝ たひごとにきよむるごとく あにまも惡を以て度々 けがるゝによて度々こひさんを申てきよむべき事專也 又死するなんぎに及はん時と貴きゑうかりすちやを さづかり奉らんとおもひたつ時こんひさんを申べし是即もるたる科を をかしけると明にわきまへ又はうたがう心有にをひてはでうすの御さために隨てこんひさんを申べき也
こんひさんを きゝ玉ふ はあてれ ありあひたまはん時とは何事ぞ
はあてれそこにゐあひたまはぬか 又はあ」(五十二オ)りあひ玉ふと云へともきりしたんおほきが故にをの/\一度にこんひさんをきゝ玉ふ事かなははざるに をひては年中に一たびこんひさんを申さずとも 此まだめんとをそむくにはあらずさりながら叶べき時はこんひさんを申べし
達してこんひさんを申爲に專なる事は何ぞや
專なる事三あり 一には へりくだる事 二には眞實しやうぢきにあらはす事三には科をのこさゝる事是也
何と樣にへりくだるべきや
こんひさんを申人我が心中に 惡人也とおもひ科の御ゆるしを 蒙るべきくりき」(五十二ウ)なしとわきまへでうすの御前にぢきに申上奉ると心得深きうやまひ をそれをもてこうくはいし我と身のうたへてとなりて我が科をさんげすべし
眞實しやうぢきにとあるはいかん
我がをかさぬ科を あらはさず又はづかしくおもふゆへか又は何たるしさいによりてなりとも我が科をかくさず明にさんげしいまだおもはず又はおもはんとする事までもしろしめしつくし玉ふでうすへ ぢきに あらはし奉ると心得べし
もるたる科をのこさずとはいかん
我が身のこんしんゑんしやを こまかにきうめいしておもひ出すほどの科をさんげ」(五十三オ)する事也
こんしゑんしやを よくきうめいず〔ママ〕る爲にちかみちありや
中/\ありまづ我がこしがたゐたる所とさんくはいしたる人と なしたる所作と同くゐたる所にては何たる事をいひけるぞと云事をしあんする爲のひまをさだめ御おきてのまだめんとゑけれじやのまだめんと 七のもるたる科十四の慈悲の所作に ついて あやまりありや いなやをたゝすべし是第一肝要の事なればゆるかせなきやうにかくごすべし
第三の まだめんと をは 何と分別すべ」(五十三ウ)きぞ
貴きゑうかりすちやに 御主ぜずきりしと 御座ます事をわきまへ貴み奉るほどのちゑあるきりしたんはいづれもはすくはの善後にびすはあどの御はつと にまかせ一年に一度ゑうかりすちやをうけ奉るへしとの儀也 然れどもそれはこんへさうるの御同心をもての儀なるべし
第四のまだめんとをば 何とわきまゆべきや
ぜずゆんをやむるほどのしさいなくんばいづれのきりしたんも甘二さい〔1600年版には廿一とあり〕よりくはれいずましきのぜじゆん又ゑけれじやより 御さづけの日 ぜじゆんをいたすべし」(五十四オ)との儀也
ぜじゆんをやむるほどの しさいとはいかなる事ぞ
其しさいはおほき也 一には ぜじゆんを する爲に 力を そゆるほどの あしたの しよくじなき時はぜじゆんをせずともまだめんとをやぶるにはあらず 二にはしんらうなる所作をするかやまひにおかさるゝか又は力なき時か くはひにんのによにんか同くちのみ子をそだつるをんなか又ためしを以てぜじゆん身のあたとなるとおぼゆる時はぜじゆんせずとてもくるしからず此等のしさいおほきによて こんへさうるへたづね申べし」(五十四ウ)
第五のまだめんとはいかん
所のかたぎに隨てびすほへなりわひの中をつゝぐべしとの儀也

00:31

a(半角)と入れてください。
 
最近の日記
過去ログへの誘ひ:
2002
2003
2004
2005
2006
2007
2008
2009
2010
2011
2012
2015